死者は、残された生者のためにいるのだ

2020年3月11日

ツナグ 辻村深月 新潮文庫

この物語は、死んでしまった者に一生に一度だけ会うことができるサービスを執り行う「使者(ツナグ)」と、そのサービスを利用した人々、および一時的に蘇った死者との間に繰り広げられる様子を描いている。

心の支えとしていたアイドルに会いたい女性、母親を亡くした息子、親友を亡くした女子高生、失踪した婚約者とその相手の会社員らの話などが登場する。

死者と会った生者は、生前に云いたかったこと、云えなかったことを伝える。ある者は安心を得られ、ある者は後悔に沈む。

この本を読んで、死者は生者にとってどういう存在だろうと考えた。そういったとき、一つの文章がそこには書かれていた。

死者は、残された生者のためにいるのだ。(P424)

9年前の3月11日に大震災があった。その影響は今も続いており、復興の期間も膨大と考えられる。しかしそれ以前に、自分も含めた日本人の心に永続的な何かを残したと思う。

震災後しばらくはガソリンが不足していたので、自転車で通勤した。ガソリンスタンドに並ぶ給油待ちの自動車の横を颯爽と駆け抜けるのが爽快だった。多少不便な生活が続き、メディアは日々刻々と変わる状況を伝え続けた。

比較的損害の少ない地方に住んでいたため、そんな呑気な感じで過ごすことができたのだろう。しかし、その日を境にいろいろと変わったことがあると思う。

人生は日々刻々と変わると以前書いた(『人生を変える?』)。しかし、あの日の出来事は、その日々刻々と人生が紡がれている舞台そのものの向きが、大きく動かされたと感じる。

もちろん直接的に大きな被害や変化を受けた人も多い。しかしそれだけでなく、自分が踏みしめて道を刻んでいた舞台となる地盤そのものが、地軸が変わり、方角が変わり、起伏や傾斜も変わったように感じる。

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あれから9年たって、我々も世の中も今歩いている道が、もともとあった地盤の上を歩いているんだとばかりに進んでいる。日々、日用品やインフラに困らない生活のなかで、安定のぬるま湯に浸かっているのではないかという気もする。

あんな大震災があったのだから、自分も、世の中も、何か変えなければならないのではないか、変わらなければならないのではないか。

そう、気付かなければならない。我々が歩いている道は、地盤そのものがあの日から変わっているのだ。日々刻々の変化もあるが、その舞台そのものが変わっているのだ。

そうでなければ、犠牲となった1万8千人余りの人々に、申し訳ないのではないか。

それは決して、犠牲者の死を無駄にしないように何かしましょうといった心の間に合わせのようなものではない。

あのとき、皆が「世の中が変わる感じ」を抱いたと思う。

あのときに感じた、「世の中が変わる感じ」の小さなカケラでも、砕けないようにそっと握って、生きていきたいと思う。

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自分は周囲に大震災による大きな被害者はおらず、被災した方、犠牲となった人々やその家族の心情ははかり知ることもできない。

こういった本を紹介することで、本の処方みたいなことで、哀しみの底に追いやられた人を軽々しく救おうなどという気持ちも全然無い。

ただ、少しは自分の胸の中にいる「死者」との付き合い方の一つを、感じることができる本ではないかと思う。

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