
叱り方の教科書 安藤俊介 総合科学出版
仕事や学問の教育の場では、「怒る」ことも必要という声もあります。先日の『怒る技術』の紹介でも少し書きました。
確かに、ただ普段通りの会話のように「伝えたいメッセージ」をサラッと伝えるよりは、この「メッセージ」はいつもの話とは違って「大事なんだよ」と差別化して伝えたいこともあります。
それは、たいてい相手のことを思って(これも自己満足や偏見が入り難しいかもしれませんが)、「ここはビシッと言っておかなければいけない」という、半ば自分の立場の使命感のようなものを伴うことがあります。
仕事をしている中で、後輩の失敗や行動を見ていますと、「同じことは繰り返さないでほしい」とか、「気づいていないかもしれないが、気づいてほしい」ことなど、ちょっと気をつけて聞いてほしいことはあります。
そういった場合に、強すぎる感情を抱き合わせて伝える「怒る」ではなく、より効果的に相手に伝える技術があると思います。
「怒る」と対比させて「叱る」と言う言葉が使われます。「叱る」は、いくぶん感情まかせではなく、こちらも相手のことを思って、タイミングや場所なども考えて、相手にメッセージを強めに伝える技術かと思います。
思えば、「怒る、叱る」ことは、結構大変です(感情にまかせて爆発的に「怒る」人は、安易なことですし、日頃から慣れているようなので、楽なのでしょうが)。
さらに、怒ると必ず、怒ったこちらも気分が悪くなります。ネガティブなことを言うと気分がネガティブになるものです。疲れますし、あとで後悔することもあります。
そんなこんなで少しは「怒る」ことも必要かなと考えている今日この頃、「上手く」怒るためには、ある程度怒る側もよく考えて、実行する技術が必要だと思っていました。
今回ご紹介する本は、日本アンガーマネジメント協会代表理事の安藤俊介氏による、より実践的・技術的なことも盛り込まれた一冊です。
前にご紹介した『怒る技術』とあいまって、私のような「怒る」ことの初心者にとって技術的にも大変勉強になると思います。
感情にまかせて怒っているだけで、あまり効果がないかなあと思っているアナタ。そして、これまで怒ったことが少ないけれど、ちょっとは必要かなと思っているアナタ。ぜひお読みください。
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叱るべきかどうかの判断基準
叱るべきかどうか悩んだときは「今、叱らなかったら後悔するか」を自分に問うことが最も頼りがいのある指標になります。(P94)
過去、未来ではなく今に集中
叱るときも同じです。叱ったらどうなるか、嫌われるのではないか、離職するのではないかなど、まだ怒ってもいない未来を心配してにっちもさっちもいかないときは、「現在」に集中すればいいのです。(P102)
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「叱る」のは疲れます、ストレスになります。ときどき後悔することもあります。それゆえ、いざ叱ろうと思っても、本当に今叱っていいのだろうか。今回は見過ごして、次回同じようなことがあったら叱ればいいのではないか。かえって委縮したり反発したりするのではないか。などなどいろいろ考えてしまうこともあります。
そこで、この判断基準は的を射ていると思います。
もしかしてこれまで、叱らなかったがために同じ失敗をさせてしまったなど、経験があるかもしれません。そういった経験をもとにしたり、客観的にみて、ここは叱ったほうが相手のためになるかなど考えたりして、「今、叱らなかったら後悔する」かも、と感じれば、叱ればいいのだと思います。
マインドフルネスの考えで、「今」に集中するわけです。「未来」は「今」の結果であり、「今」の行動が作ります。「昔」は参考程度にしましょう。
そもそも、『怒る技術』の紹介でも述べましたが、絶対に正しい「怒り」や「叱り」は無いものです。必ず自分の偏見や情報不足はあります。
しかし、少しでも相手のためになるかもしれないのであれば、「嫌われるかも」などと利己主義なことは考えないで、叱りましょう。
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叱り方のNGな態度
①機嫌で叱る
叱る基準を動かさない、機嫌ではなく、ルールで叱るということを徹底することが必要なのです。
②人格を否定する
あなたが叱ってよいのは行動、行為、ふるまい、結果です。逆に叱ってNGなのが、人格、性格、能力などです。
③人前で叱る
叱ると決めた以上は堂々と”叱る”に向き合ってください。
④感情をぶつける
・・・感情的に叱ると、相手から返ってくる反応は「逆ギレ」か、「言い訳」ばかりになってしまい、”叱る”が効果的に伝わらないのです。(P108-)
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①:これは感情にほだされず、客観的に、いつでも同じ基準で「叱る」ために必要です。
たとえば、同じような失敗をしても自分のその時の機嫌によって叱り方に違いがあってはいけないわけです(同じような失敗を繰り返すという点は、少しきつく言うべきでしょうが)。
また、自分の直属の部下だとか、他部署の人員だからということで、叱る程度に差があってもいけないわけです。まあ、これはある程度しょうがないと思いますが。
②:人格否定は相手を攻撃するのに極めて効果的な手法であり、古くから用いられてきました。しかし逆にいうと、理論的に言葉で伝えることができないので、そういう手段に訴えるという要素もあるでしょう。ぜひ避けたいものです。
そもそも人格や性格などはそうそう変えられないものです。変えられるところ(行動や考え方)を指摘してあげて、こうすればいいんじゃない、というのがいいと思います。
③:人前で叱ることの意義は、「叱っている人がちゃんと叱っているということを周囲に知らしめる」くらいがあるのかないのかといった具合でしょうか。
叱られる側も大変ですし、周囲もいたたまれなくなります。環境破壊です。
④:伝えたいメッセージに「感情」をくっつけて投げると、相手がメッセージを受け取りやすいと思ったら大間違いです。投げられた「感情」の処理に右往左往してメッセージを受け取るどころではありません。
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技術の習得には次の4つがあります。
①意識していなく、できない
上手に叱ることを意識しておらず、上手に叱れていない状態
②意識はできるが、できない
上手に叱ることを意識はしているが、上手に叱れていない状態
③意識をし、できる
上手に叱ることを意識し、上手に叱れるようになっている状態
④意識をしなくても、できる
上手に叱ることを意識しなくても、上手に叱れている状態(P172)
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この4段階は、なにも「怒る」ことに限らず、様々な技術や芸当に当てはまると思います。
たとえば手術。初学者は勉強の足りないうちは、道具の使い方にしても十分には分からず、実際に使ってみてもうまく使えません(もちろん、上級医が一緒に手術についているので、安全です)。これが①の段階です。
少し勉強して、ある程度使い方の「理論」は覚えます。いわゆる「知識」ですね。それをもって手術に臨みます。しかし、実際にやってみるとうまく使えない、進まない。これが②の段階です。
ある程度経験を積むと、勉強したことを実際に自分の手で実行できるようになります。なにが今までと違うようになったのか、それは自分でも分かりません。「暗黙知」とでもいうべきコツが追従してきたのでしょう。「知識」が「知恵」になってきています。これが③の段階です。
そして、いわゆる「体が覚えている」というレベルが④でしょう。基本的な道具の使い方を習得しており、請われれば言葉によって技術の実際は伝えることもできます。しかし中には「経験知」「暗黙知」としか言えないものも織り交ぜながら、意識せずに道具を使いこなして手術を進めます。
手技的なものだけでなく運動にしろ、武術にしろ、芸術にしろ、皆このような過程で技術は自分のものになっていくのだと思います。
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「叱る」ということは、単に「怒りの感情(±メッセージ)」の「怒る」とは異なり、自分のことも相手のことも様々考えて紡ぎ出される極上のメッセージ伝達かと感じます。
さらに、よくよく考えて「叱る」ようにすることが、叱られた相手のみならず、自分の成長にもつながるのではないかと思います。
まずは今回ご紹介したような「教科書」的な「知識」を得まして、実際の場で使ってみることで「知識」を「知恵」に昇華させます。
そして、「叱る」ことについての「暗黙知」「経験知」も増やしつつ、良き「叱り」ができるようになりたいものです。