好きなことから幅広い勉強

2020年2月16日

電車が好きな子はかしこくなる 弘田陽介 交通新聞社新書

私は電車が好きである。最近の鉄道好きには、〇鉄、△鉄など細分化されているきらいがあり、なんとなく全体的に好きというのでもいいのではないかと思う。

電車関係の遊びとしてはプラレールから始まり、Nゲージという精巧な鉄道模型も経験した。プラレールはレールや車両が破損するまで遊んだし、Nゲージはひとつの工芸品ともいうべき品物だから、値段もそれなりで、かなり出費したと思う。

電車に乗るのも好きである。今でも出張はなるべく新幹線を使う。鹿児島出張まで新幹線で行きたいところが、時間の関係もあり遠慮している。

まず、乗っているだけで、幸せである。加速感や(新幹線は気密性が高くてあまり聞こえないが)VVVFの旋律、車窓から眺める景色もいいし、読書にふけるのもいい。

ときどき移動中は寝ますという人もいるが、もちろん疲れているときは貴重な休息時間ではあるが、寝てしまってはもったいないと思う。

鉄道について興味を持っていると、いろいろ勉強もするものである。これは子どもの教育にもいいと思う。電気から石炭まで動力源や資源のこと、運行体系に関わるダイヤや駅構造や配線など、そして車両の構造など機械的なこともあるし、沿線の地理・社会についても勉強ができる。

そんなわけで私は、鉄道を好きになり興味をもつことはいいことだと思ってきた。そこでこの本である。副題は「鉄道で育児・教育のすすめ」とある。無理に鉄道を導入して育児・教育に利用しようというわけではないと思うが、「電車のことばっかり」などとわが子の素行に心配・辟易しているお母さん(お父さんの場合もあるか)、電車が好きなことはいいことですよ!

形式陶冶の考えに沿って、現在でも小学校~高校まで国語・算数(数学)・理科・社会・外国語・美術・体育・道徳というような古典的な学問ジャンルが欠くことなく授業として行われています。このような授業の体系は、後の人生ですべての学問ジャンルが必要になるから行われているのではなくて、このような様々な学問ジャンルが児童の頭のいろんな使い方を開発すると考えられているからです。ですから、学んだことの内容自体が大切なのではなく、そのような素材を学ぶことによって頭が開発されていくということが重要なのです。すでにふれた脳機能研究の見地から言えば、いろんな頭の使い方をすることは、複数の領域を同時に使う、様々な脳領域のネットワークを開発することになります。(P50)

形式陶冶とは幼少期から青年期までのような記憶力・思考力が発達する時期に適切な刺激と課題を与えて、その能力を最大限にのばしておくという考え方である。学校教育の古典的ジャンルは形式陶冶の目的で様々な分野に分かれており、それによって脳機能のネットワークが開発される。

その点、電車のことを考えるだけで、先に述べたように複数のジャンルに関わる勉強が可能である。

たとえば、社内アナウンスや駅名の漢字を覚えることは国語であり、地理や沿線社会を知ることは社会であり、動く仕組みや構造を知ることは理科、駅や車内でのマナーや気配りは道徳、はたまた車両の色やデザインは美術であろう。

知識的なことばかりではなく、模型の組み立てや絵を描くこと、折り紙やダンボールで作ってみることは、技術的な勉強にもなる。うまくいかなくて工夫したり調べたり教えてもらったりすることも、立派な社会勉強である。

同じものを並んで見るような二つの心のつながりこそが、緩やかに愛着を強めるものなのです。(P61)

子どもと一緒にプラレールを作ったり、車両の構造や仕組みを調べたり、絵本を読んだりすることは、同じものを並んで見ることであり、お互いの愛着を強めることである。

このように、電車の好きな子どもそのものの教育・成長だけではなく、一緒に過ごす親や教師にとっても、同じものを並んで見ることで、信頼関係や愛着といった非認知スキルがついてくる。

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電車にしても、ゲームにしても、ひいては読書にしても、のめり込みすぎて他のことが身に入らないのでは本末転倒であるが、基本的に勉強になることは多いと思う。

「好きこそものの上手なれ」という言葉もあるが、「好き」ということを勢いにどんどん知識や技術を得るのが最も楽しく、かつ効率的な勉強だろう。

「行って余力あらば以って文を学ぶ」(論語)とあるように、まず宿題や仕事などすべきことはしてから、思う存分のめり込むのがいいと思う。

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