自己啓発にゴールはあるか

2020年2月4日

最近思う。自己啓発にゴールはあるか、と。

ゴールがあるとしたら、どのような状態になることなのか。神に近い存在か。小市民の私ごときの想像する範囲では、きっと自分に満足しており、周囲のひとも私のことを尊敬し、頼りにしており、どんなこともうまくいっている状態などとしか思い浮かばない。

さて、そんな妄想は置いておいて、「満足するという状態」とはどのような状態であろうか。様々な思想から考えてみる。

まず、仏教。2000年以上続く宗教であるが、これは宗教というよりは一種の生き方論であると思う。宗教というと一神教のイメージが強く、全知全能の神がいて、それにすがって「なんとかしてください」、といった印象が強い(大乗仏教ではそういう傾向もあるかもしれないが)。しかし、初期仏教におけるお釈迦様の教えや考え方、あるいは現在の上座部仏教につながる自己鍛錬の考え方は、まさに生き方論である。

仏教では、ニルヴァーナ(涅槃)という状態をゴールとしている。いわゆる「悟り」を得た状態である。しかし、「悟り」といっても、様々な修練・苦行の末にパッと人が「悟った人(これを仏教ではもともとの意味では目覚めた人だが、ブッダと呼ぶ)」に変わるのではない。

私は「悟り」の本質は、定常的な状態ではなく、その時その時の状態の捉え方にあると思う。

たとえば、怒りの感情が出てもすぐに怒らず状況に応じて対応するとか、苦難に苛まれても、決してその感情を否定せずに、かといって呑み込まれることもなく過ごしていくとか。

様々な人生の苦境に対して、流されずに対応し、次につなげていけるのが「悟り」を得た状態なのではないか。そうなれば、苦難の多い人生もうまく過ごしていけるのだと思う。

人生の苦難の原因のひとつに「過去があったから」「未来があるから」と感じてしまうということがあるだろう。

後悔やうらみ、悲しみは過去のことを今にひきずり影響を受けている状態である。怒りや不安・不満は未来のことを考えると、今ここでこんな状態でいいのだろうか?という考えが一面にあるだろう。

「過去」の捉え方にも二種類ある。得るものの無い捉え方が「後悔」であり、得るものの有る捉え方が「反省」である。

今現在我々が生きているのは「今ここ」である。その「今ここ」を大事にというか、「今ここ」周辺のうすらぼんやりした過去や未来を考えずに、「今ここ」でなにができるかを大事にするのが、アドラーの思想にもつながる。そして、その実践的な面を強調しているのが、最近とりあげられることの多い「マインドフルネス」だと思う。

仏教にしても、マインドフルネスにしても、はたまた様々な自己啓発関連書籍にしても、現代はさまざまな方法論にあふれていると思う。しかし、大事なのは実践である。ネット検索や多読によりこのような知識を得たところで、それを実践しなければ意味がない。

自己啓発にゴールはあるか。

ゴールはないと思う。しかし、お釈迦様の教え(たとえば八正道など)であるとか、アドラー思想でいう「導きの星」のように生き方の目標をかかげ、その目標そのものになることはできなくても、数学でいう漸近線のようにいくらかでも近づこうとする気持ちが大事なのだろう。

人生は、なにか本を読んだり人にあったりしてパッと変わることはない(まれにそういうこともあるが)。日々刻々と微妙に変わっており、年月がたつと大きな変化に見えるのだ。

大事なことは、その日々の変化が微妙でも、少しでも良い方向に向けることである。そのためには読書、現実世界での修練、マインドフルネスや反省などといった技法が役立つのだろう。

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