新型コロナウイルスは社会を櫛(くし)けずる

2020年3月25日

台風や地震などの災害と同様、今回の新型コロナウイルス問題によっても、社会の脆弱な部分が浮き彫りになっていると思う。

労働については職場に集まっての仕事体制、通勤の満員列車などの問題が、教育については休校による家庭の負担、核家族の弱さが浮かび上がった。

感染に対応する医療については検査体制の不備、検査の感度の低さ、医療機関の受け入れ体制などの問題が浮かび上がった。

日本ではさほどでもないかもしれないが、貧富の差による医療機会の差も、世界各地の重症化や致死率などに影響しているのだろう。

流通についても、これまで我々が進めてきたサプライチェーンが、いかに細いチェーンのつなぎ合わせで成り立っていたかが明らかとなった。中国をはじめ諸外国や国内地方工場の閉鎖により、おのずと大工場も閉鎖せざるを得ない。

新型コロナウイルスは社会を櫛けずる(”梳る”とも書く)ようである。頭髪を櫛けずるともろい毛髪、いたんだ毛髪は櫛に引かれて抜けてしまう。残るのは耐えた、比較的健康な毛髪である。

ウイルスは社会を櫛けずり、社会のもろい点を明らかにするとともに脱落させるように見える。

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まだ収束のきざしは見えておらず、予断を許さない状況ではあるが、不謹慎ながら多少なりとも得られたものもあったのではないか。

たとえば、「お父さんが早く帰ってくる」など。日本では、日頃仕事にかまけて夜遅くしか帰って来ず、子どもの顔をみるのは寝顔と朝の少しの時間だけという人も多いと思う。

それが、仕事の減少、イベントの減少により、会社や職場でも日頃の忙しさが多少減って、自宅で過ごす時間が増えた方もいるかもしれない。家族の良さを改めて感じた人もいるかもしれない。

もちろん、仕事が減った人がいる一方で、この事態により多忙を極めている職種は多いので、のんきなことも言っていられないが、そういう見方もできるかもしれない。

また、節約に対する意識も高まるのではないか。

9年前の震災当時も、物資の不足から水でも紙でもガソリンでも節約して使った時期があった。物流が回復すると、また余裕は復活したとしても、「震災を教訓に日頃から節約をこころがけよう」という気持ちを持った人も多いと思う。

もう一つ、健康に対する意識の高まりも期待できる。

今回の感染状況でも分かるように、重症化例や死亡例はもともと持病をかかえていた人に多いようだ。

呼吸器疾患や心臓、腎臓疾患など重篤な持病もさることながら、糖尿病といった易感染性(感染に弱くなる)をもたらす疾患や、喫煙や肥満といった呼吸器官に多大な迷惑をかける状態では、ひとたびウイルスに暴露されたときの感染率や重篤化率は高いのではないか。

まあ、今はまだ「得られたもの」など考えてもしょうがない時期かもしれない。

しかし、いつか収束の折には、「やれやれ」だけではなく、しっかり「反省」の場を構えて多大な犠牲を払っても「得られたもの」をもぎ取ることが、人類がウイルスに対抗できるわずかばかりの行動ではないか。

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よく言われていることだが、今後も同様のパンデミック、新興感染症は起こる可能性がある。医療の進歩をしのぐ耐性菌の出現も大きな問題となっているが、場合によってはこのようなヒョッコリと出現した新興感染症のパンデミックで、アッという間に人類が滅亡の危機に瀕しないとも限らない。

ワクチンを開発する、治療薬を開発するといった技術での対応は、どうしても後手にまわってしまう。

では、どうするか。災害対策と同様、日頃の備えであろう。

個人レベルとしては健康の維持と体力づくりだろう。飽食にかまけてニコニコと太って、「がまんできないんですー」などと言いながら生活習慣病とかやってないで。

社会レベルでは社会体制の見直しか。柔軟な労働体系であるとか、教育体制。また、今回のウイルス禍は「指導力」のふるい方による「人災」の面も言われている。

指導については、支持率とか財源とか責任とか考えていないで、エイッと進めてしまうことが大事な局面もある。とくに自然相手ではそういう場合が多いのではないか。

それを聞く人民も、多少指導の結果がはずれたからとブーブー言わないで、協力的になることも必要な状況だろう(もちろん、ファシズム的な方向に行かないよう活発な監視・議論は必要である)。

また、なんでも経済・景気第一、お金目当てにしないことである。最近の大型イベントは政治・経済の手段になっている気がする。

「経済」という言葉ももともと「経世済民」といって、限られた資源を用いていかに民を暮らしやすくするかという考えである。手段はお金だけではない。生きていてこその経済、文化の享受である。

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櫛の歯もいずれは折れる。

それに、そもそも櫛けずった後には、整然と美しくなるものだ。

指導者たちの意見や世の中の同行を少し参考にしながら、できることをして過ごしていこうと思う。

そして、この災禍が通り過ぎた後に、少しの「知恵」が残ればいいと思う。

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