「失敗」は認めないと現れない。そこまでやってきたことに対する、その時点で区切っての評価である。
だから、失敗と見なければ、成功するまでの単なる過程とみて、続けることができる。
エジソンのように、「私は失敗などしていない。1万通りのダメな方法を見つけたのだ」などと言っていればいい。
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では、「失敗」を認めることの意義は?
「失敗」を認めることの意義は、「失敗」を生かせた場合にのみ現れる。
生かし方はいろいろある。反省の材料。気づきのきっかけ。
小さな失敗は大きな失敗を回避するための、だいじな「躓(つまづ)きの石」である。
せっかく、そこで躓いて気づいたのだから、大きな失敗に向かわないようにしよう。
ただ、躓くことはときどきあるが、気づくことはなかなか難しい。
気づく手がかりの一つは「直感」である。
「何か気になる、ひっかかる」と感じることは、ときどき小さな失敗が起きていて、あとあと問題になってくることが多い。
ときには大きな失敗、問題につながることもある。
だから、そう感じたら、確かめてみたり、人に聞いてみたりすると良い。
確かめた結果、小さな失敗があったことに気づいたならば、直せばいい。さらに、自分の直感の正しさを感じ、直感をさらに鍛えたことになる。
確かめた結果、とくに問題なかったら、安心である。
巻き込んだ周囲には少し苦労をかけたかもしれない。
しかし、それも周囲に対して、自分の考え方を示し、「こういうときはこういうことを心配するのだ」という教育にもなるかもしれない。
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エジソンのように、失敗を乗り越える気概も大事である。
小さな失敗を大事にして、自分の成長につなげることも大事である。