言葉を手繰り、世界を漕ぎ進む

舟を編む 三浦しをん 光文社文庫

最近、「類語辞典」をよく使います。SNSに投稿するさいに字数の関係で他の言葉がないか調べたり、もっと意に添う言葉がないか調べたりしています。

類語辞典の面白いところは、当たり前ですが言葉が意味で似たもの同士並んで続いていることです。もちろんセクションによる区切りはありますが、眺めていても面白いものです。

一般の国語辞典は、五十音順に言葉が並べられており、隣り合った言葉の音は似ていても意味はほとんど別物です。

言葉は音も大切ですが、意味が最もその言葉の存在価値を示すと思うので、類語辞典は言葉の集合体として理想のものかもしれないと思いました。

さて、今回ご紹介する本は、大辞典を編纂する部署の中と外で繰り広げられる物語です。

私の、本や読書、あるいは人生に対する切り口の一つが「言葉」であると勝手に思っており、読書をする際には言葉について敏感になっていると感じます。

この本はまさに言葉が主役のような物語で、登場人物たちの物語はいうまでもありませんが、言葉がいかに世の中で扱われ、大切なものであるかが書かれています。

とくに、辞書を編纂する作業を通して言葉の定義や用法などについての記載が豊富であり、読んでいてますます、言葉の面白さと魅力を感じました。

「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。もっともふさわしい言葉で、正確に、思いをだれかに届けるために。もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」(P34)

世界は言葉でできているとも言われます。我々は周囲のものごとを言葉で理解し、扱います。例えば、これは指で、これは手で、ここは肘。動く、食べる、見る、生きる、などと。

また、言葉は概念的なもの、あいまいなものの解像度を上げる働きもします。例えば感情もその一つです。

悲しい感情を経験したときに、その経験した“感じ”を「悲しみ」と知ることで、過去の同様の経験や他人の話と結びついて、自分の感情が強められ修飾されます。

まさに、世界は言葉であふれていて、言葉を手掛りにし、使用することで、この世界で生きていくといってもいいでしょう。

そんな言葉を集め、言葉の性質と扱い方を記録したものが、辞書です。まさに辞書はこの言葉の海である世界を進んでいくために必要な、舟と言えるでしょう。

さて、辞書という舟の「舟」ですが、「舟」は「船」よりも小さい印象です。大型船や船舶といったものよりも、丸木舟や笹舟といった感じに。

大きな船はあまり足元の細かい点に目をやることができず、細かいことはかまわずに進む感じがします。その点小さな舟は、頼りなくはありますが、水面の様子を見ながら進むことができます。

言葉の意味の並び、言葉の織りなす波や小さな光を慎重に拾っていきたい。そんな意味でも、辞書は「船」ではなく「舟」なのかもしれません。

小さな光は世界の輝きであり、言葉たちです。船では気づかないかもしれない言葉に出会ったときに、役に立つのが辞書です。

辞書は光り輝く一つ一つの言葉が指し示す方向を教えてくれ、言葉を手掛りにして世界を進むことを助けてくれるのです。

小学生のころは、削りたての木の香りがする鉛筆を使って、自由帳にロボットや怪人を描いたものだ。手で削るとうまく描ける気がするから、鉛筆削りは使わない。(P160)

書道では、墨を磨るときにも、心を整えるそうです。道具を整えるとき、たいていは単純な作業ですが、そういった作業で心も整えられるのだと思います。

今は手回し式の鉛筆削りや電動の削り機がありますから、鉛筆をカッターや小刀で削るということはほとんどありません。

でも、道具を整えることは、道具を使うさいに心を込めて、その道具の用途や持ち味を十二分に発揮させてあげることに繋がると思います。

言葉も道具と言えます。言葉の意味や使い方を、辞書で調べることは、いわば「言葉を研ぐ」こととも言えるのではないでしょうか。

分からない言葉に出会ったときに辞書を引くこと。それは、その意味や用法を調べるだけではなく、その言葉を研ぎ澄まし、世界に対する言葉という自分の道具を、より鋭敏にすることに他なりません。

西岡は微笑み、文面を二度読んだ。絵文字はひとつもない。麗美の文章はいつもと変わらず、案外硬派なものだった。それでも、声が聞こえてくるようだ。あたたかいなにかが伝わってくる。(P185)

絵文字はパッと見ただけで、相手の気持ちが分かりやすいものです。言葉だけだと、いろいろ相手の気持ちを推し量ってしまうこともあります。

人間の表現手段としては、最初は声だったでしょうが、その次は言葉ではなく絵だったのではないでしょうか。古代の洞窟壁画などが残っています。

声が次第に言葉となり、絵が次第に文字となっていったのでしょう。声は言葉となることにより、声色や感情という要素を脱ぎ捨てました。

絵は文字になることにより、絵を見れば一目瞭然であった意味を脱ぎ捨てたかもしれません。文字でも象形文字や漢字の一部は、まだ絵に近く、意味を有します。

さて、最近のメールやSNSの記事などでは絵文字が多用されているのを目にします。絵文字は、文字の原点回帰のようなものでしょうか。

しかし、絵文字が表すことは、その絵が表すことに比較的限定される気がします。例えば笑っている顔の絵文字であれば、使った人が楽しんでいるとか機嫌がいいとか面白がっているということを意味するでしょう。

その一方で、文字としての言葉には、もっと可能性があるのではないかと思います。言外の意味、行間の意味というものが、絵文字のダイレクトな表現よりも多く含まれているのではないでしょうか。

最近、滅多に見ることのできない月食があったようですが、「月が綺麗ですね」が「愛しています」の意味を暗喩するエピソードは夏目漱石に由来するようです。

“I love you”の和訳を、直訳では「私は貴方を愛しています」とするところを、日本人はそんなこと言わないから「月が綺麗ですね」にでもしておきなさい、と言ったとか。

ともあれ、言葉はあいまいさの裏返しとして、受け取り側の解釈や想像力による広大な可能性を持っていると言えるでしょう。

相手は何を伝えたいのかなあと考える。もちろん字面通りのこともありますが、こう考えさせる余地があるところも、言葉の良い点だと思います。

「自国語の辞書の編纂は、国家の威信をかけてなされるべきだ、という考えがあるからではないですか。言語は民族のアイデンティティのひとつであり、国をまとめるためには、ある程度、言語の統一と掌握が必要だからでしょう」(P282)

言葉は思考や記憶の道具ですから、自分たちが普段用いている言葉は自分たちの思考や記憶を造り上げています。

だから、例えば日本語を使っている我々は日本語の言葉で造られた思考パターンを持ち、その思考パターンで日々の生活から世の中のことまで広く考え、生きているわけです。

つまり、人種や習慣などと同様に言語というある一定集団で用いられている言葉は、集団の人々が自分がその集団に属していることを確認するためのアイデンティティの一つであり、その言語を使う人々をまとめる力があります。

このあたり、『祖国とは国語』で藤原正彦氏も述べていたと思います。

言葉はコミュニケーションを仲立ちし、集団共有の物語、共通感覚、さらには普遍的・集合的無意識を造り上げるのでしょう。

死者とつながり、まだ生まれ来ぬものたちとつながるために、ひとは言葉を生み出した。(P323)

人は言葉を残すことで、死者となった後も後世に思いや考えを伝えることができます。また、こちらからも死者に言葉を贈ることにより、コミュニケーションすることができます。

これから生まれてくる者のために過去から膨大な言葉が残されています。動物同然で生まれた赤ちゃんも、十数年の教育により現代社会に通用する人間となります。

後藤新平の言葉に「金を残して死ぬのは下、事業を残して死ぬのは中、人を残して死ぬのが上である」という名言があります。

でも私は、「人を残す上」よりも上があると思います。そう、「言葉を残す」ことです。当の後藤新平もこのような言葉を残すことにより、多くの人を感化することができています。

残された言葉は時間を超えてこれから生まれてくる人にも伝えられ、また死んだ当人も後の世まで伝えられます。

また、言葉は人伝えに、あるいは文字として記されることで持ち運び可能となり、はるか遠くの人にも伝えることができます。

まさに、言葉は時空を超えて残り、伝えることができる素晴らしい道具と言えるでしょう。

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辞書の困ったところは、たいてい重いところです。その点、電子辞書はコンパクトで色々な辞書が入っていたり機能に富んでいたりと便利です。

ただ、この紙の辞書と電子辞書の違いは、まさしく紙の本と電子書籍の違いと同様ではないかと感じました。あるいはリアル書店とネット書店の違い。

紙の本はかさばるし、重いし、折れるし、痛むし、・・・。電子書籍はそういったことは少ない。リアル書店は行かなきゃいけない、無い本は無い、・・・。ネット書店は家にいながら欲しい本をポチッとすれば本が届く。

でも紙の本には電子書籍にはない要素がたくさんあります。本の厚み、重さ、ページの残り具合、紙背に透ける次ページの雰囲気、紙の匂い。

リアル書店は探した本は見つからなくても、同じコーナーあるいはふと通りかかった本棚で思わぬ出逢いを経験することも多々あります。

一部デメリットの裏返しのようなものもありますが、私は紙の本やリアル書店のこういった要素が好きです。

降り戻って辞書。子供のころ、授業をろくに聞かないで辞書を眺めていた経験があります。辞書をめくっていると勉強しているように見えるし、そんな気にもなります。あの言葉はどういう意味だろう、あれって辞書ではどう書いてあるのかな。

このあたり、紙の本やリアル書店に通じる感じがしませんか。音で並ぶ一般辞書はともかく、類語辞典は意味の繋がりが見る者に興味を起こさせます。

言葉と付き合ううえで、辞書は言葉を研ぎ、言葉を手繰る道具と言えるでしょう。私もこの本を読んで、言葉との付き合い方について、新鮮な気持ちを感じたのでした。

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