脳を司る「脳」 毛内拡 講談社ブルーバックス
脳の複雑な機能、そこから生じる“人間らしさ”は、「脳」という生々しい臓器の、実に生物的な性質によって成り立っている、ということが良く分かる本です。
「脳では神経細胞のネットワークが電気信号をやり取りすることによって、様々な機能が行われている」
と思っていたけど、実は神経細胞のネットワークだけではなく、そのスキマを埋めている水(脳脊髄液)であったり、スキマの広さであったりが、これまた重要な役割を果たしているのです。
この本の面白いところは、いままで脳機能においてはあまり注目されていなかった神経細胞以外の脇役的要素である“スキマ”や“脳脊髄液”、“グリア細胞”などに注目しているところです。
神経細胞ネットワークだけでは、どうもコンピュータの配線と同じ感じであり、デジタルな処理になりがちです。
そこに、こういった一見脇役的な要素が入ることで、アナログで曖昧な“人間らしい”働きを可能にしているのです。
細胞外スペースは伸び縮みしている
たとえば、細胞外スペースの体積は、寝ているときや麻酔下では、脳全体の23%程度を占めるのですが、覚醒下では14%まで減少することが報告されています。(P112)
寝ているときには細胞外スペースが広がるため、脳脊髄液の流れを使って脳の中のゴミを洗い流しているというお話をしました。・・・じつは起きているときは、細胞外スペースを狭くすることで、低周波の細胞外電場に対する応答性を変化させている可能性が考えられます。(P193)
脳には主に神経細胞と、それを保持することを始め色々な役割を演じているグリア細胞という細胞から構成されています。もちろん他にも血管などがあります。
そして、神経細胞の働きが脳の働きの大切な要素と思われがちです。たしかにそうではありますが、ここで述べられているような細胞の間のスキマ、つまり“細胞外スペース”も大切なのでした。
そこは「脳脊髄液」と呼ばれる水のような液体で満たされており、時間によって広くなったり狭くなったりするようです。
寝ているときは広くなり、そのスペースを脳脊髄液が流れやすくなります。そして脳脊髄液によって脳のゴミというか、老廃物を洗い流すのです。
睡眠を十分とることが、翌日のアタマの働きに影響するというのは、こういうことなのかもしれません。
つまり、良く寝ると寝ている間に細胞外スペースの流れがよくなってゴミが洗い流されると。
逆に起きているときは、細胞外スペースは狭くなっており、神経細胞同士もより近接するようになります。
そうなることにより、神経細胞が通している電気信号以外の“細胞外電場”というジワッとくる微弱な電気信号に対する反応性を高めたり、あとに述べる「神経修飾物質」の拡散・効果に関わったりするのです。
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脳はコンピュータのように神経細胞が密なネットワークを形成して、そのネットワーク内での電気信号によって機能を行っていると考えがちです。
それだけではなく、神経細胞ネットワークの外側の、隙間の存在その広さ・狭さも脳の機能に大きく関わっているんですね。
細胞外スペースの中で拡散して、脳の広範囲の活動を調節する物質のことを神経修飾物質と呼びます。たとえばノルアドレナリンは、もっとも重要な能な物質のうちの1つであり、睡眠からの目覚めや注意力を高めるなどの行動に関与している、脳のアラートシステムとしてはたらいています。(P117)
神経細胞はもっぱら電気信号を通すことに特化しています。その神経細胞同士はどのようにつながってネットワークを形成しているかというと、「シナプス」というつなぎ目でつながっています。
このシナプスも神経細胞と神経細胞の間のいわば“スキマ”ですが、そのスキマを仲立ちするのが「神経伝達物質」と呼ばれる化学物質です。神経と神経の間を“伝達”するわけですね。
この神経伝達物質の出具合や消え具合が、電気信号と異なり0か1かというものでもありませんし、繰り返しの使用によって多くなったりします。
それがつまり、神経細胞同士のコミュニケーションとなっており、「学習」や「記憶」など脳機能を支える仕組みであります。
そして、神経伝達物質の過剰や減少もまた、統合失調症やパーキンソン病、アルツハイマー病など様々な神経疾患に関わっていると言われています。
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神経細胞同士のやり取りを仲立ちする神経伝達物質も大切なのですが、ここで注目されているのは、神経細胞がブラブラしているそのスキマ、細胞外スペースに拡散される「神経修飾物質」と呼ばれる化学物質です
神経細胞がたくさん並んでいる空間にジワッと拡散していることにより、一度に多くの神経細胞に影響を与えることができるのですね。
いうなれば、バトン渡してリレー競技をしているところに、周囲から「ガンバレー」などと応援の声をかけるようなものでしょうか、ちょっと違うかな。
ともかく、こういった神経細胞同士のネットワーク外の物質が、目覚めや集中などの際に効率的に多くの神経細胞を調節するのに、役立っているのです。
これもまた、脳のスキマがなせる技なのです。
近接しているニューロン同士が、シナプスを介さずとも電気的な信号をやりとりし得るというこの不思議な現象は、多数のメディアでも取り上げられ、「脳の新しい情報伝達法だ!」などと騒がれていました。しかしじつは、このアイディアは古くから存在していて、シナプティック(シナプス的な)・コミュニケーションに対してエファプティック(非シナプス的な)・コミュニケーションと呼ばれていました。(P168)
前に簡単にご説明した「シナプス」ですが、これこそが神経細胞同士のつながりである、これ以外にはない、と考えられてきました。
しかし、ここで述べられているように、電線としての神経細胞の中を通る電気信号ではなく、神経細胞周囲のスキマを流れる微弱な電場もまた、大切なようです。
こういった電場があると、神経細胞の感受性が高まり、より反応しやすくなるようです。
「知性」の正体
人間らしさとはどういうことかを考えるとき、その要素の1つに「知性」が挙げられます。本書では、知性の進化の謎にも迫り、ヒトを人間たらしめている候補としてアストロサイトを提案しました。(P248)
私は、脳のデジタル伝達とアナログ伝達の非シナプス的相互作用こそが、人間らしさの根源である「知性」の正体であると予想しています。とくに、意識や知覚、気分や注意などの高次な脳機能において、アナログ的な調節が本質的な役割を果たすと考えています。(P250)
田坂広志氏の著書『知性を磨く』でも詳しく述べられています。「知能」とは、答えのある問いに対して答えを求める能力、「知性」とは、答えの無い問いに対して答えを見出そうとする能力。
神経細胞同士のネットワークだけでは、コンピュータと同等の「知能」を発揮することは可能でしょうが、人間らしさの一つである「知性」を創り出すことは不可能でしょう。
そこに登場するのが、ここで述べられているアストロサイトというグリア細胞の一種や、神経細胞の間の“スキマ”なのです。
アストロサイトは先ほども述べたように神経細胞同士のつなぎ目、“シナプス”で、その伝達物質を調整するという、きわめて重大重要な役割を担っています。
その働きが「学習」や「記憶」、あるいは「感情」といった生物らしい、人間らしい脳の機能を支えているのです。
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さらに、スキマすなわち細胞外スペースでは、脳脊髄液や神経修飾物質、細胞外電場が神経細胞ネットワークのコンピュータ的な働きを、外側から修飾し、支えています。
その支え方はけしてコンピュータのような“シッカリ”したものではなく、アナログでゆっくり、広くあいまいに行われます。
『アイデアの作り方』といった本にも書かれており、さまざまな人物が言っている“あるときピンと来る”というのは、こういった冗長な働きが引き起こすものかもしれません。
あるときフト、それまで無関係だった部分がつながって、アイディアが生まれる。
そういった現象には、この「脳」という実に生々しい(みずみずしい)生物的な臓器が有する“スキマ”や脳脊髄液、シナプスの傍らで気ままに働くアストロサイトが生み出しているのでしょう。
配電盤の間を液体で満たして、冷却機能を高める程度のコンピュータはあるようですが、キカイが「脳」の持つ生々しさゆえの機能を得ることは、しばらく難しいのではないかと思います。
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「グリア細胞」の働きをもっと知りたいという方には、『もうひとつの脳』もお薦めです。