好きのパワーは無限大 ハラミちゃん KADOKAWA
イヤ本当に。この方の演奏動画を見ていると、感動します。感動って言葉で片づけると簡単ですが、なんと言うか、「音楽って耳で聴くだけのものではないんだな」と感じさせられました。
YouTubeでも見ることができます。演奏者がいて、楽器があって、聴衆がいて、場があって。それを小さな画面を通して見ることができます。
実際にその場に身を投げ込んでいたら、雑踏の音や雰囲気、気温、空気のにおいなども混ざり、また違った感動だと思います。
例えばピアノをCDやどこかのラジオで音楽だけ聴くのと、ピアノを弾いている動画を見るのとでは、ずいぶん違います。
演奏しながら体が動くのは、曲を表現しようとしているからだと思います。たとえば曲の流れの中に効果的な休符があると、その部分で自然に身体がキュッと止まる。その次の音を出す前には手が高く上がったりもします。(P109)
こういった演奏中の動きや表情も、彼女が音楽を全身で奏でようとした結果の身体の動きなのでしょう。
聴覚だけでなく、こういった奏者の動きといった視覚、その場の空気の振動や雑踏などといった皮膚感覚的なものも盛りだくさんになり、多くの感覚器官が動員されて“感動”が生じるのです。
これこそ、“ライブ”の魂だと思います。“魂”って、何かの“芯”のように中心にあって外側や周囲を司っているような気がしますが、もしかして、その中心となる人やモノだけではなく、周囲も含めた全体が醸し出す雰囲気のようなものかもしれません。
ということで、人の魂は、本人もそうですが、それを取り巻く関係者や私物、家庭や職場など様々な要素が生み出す、その人や周囲の人が持つ認識みたいなものではないでしょうか。
“死んだら魂が抜ける“というのは、死んだ個人の認識はもちろん無くなりますし、周囲の人のその故人に対する認識も薄れていきます。そういうことかと思います。
“故人が自分の中に残っている“というのは、その魂の辺縁がまだ自分の中にあるということでしょう。
2020年に始めた全国ツアーでも、新しい発見がありました。それは、聞いてくれる人によっても音楽がかわる! ということです。ステージ上で演奏していると、客席の「熱」みたいなものが伝わってきて、それによって私が出す音もかわるのがわかりました。(P140)
本当に、周囲の様子によって、こちらのパフォーマンスも影響されます。聴衆の「熱」が感じられると、こちらも演奏に「熱」がこもります。
ともすれば目をつぶっても聴くことができる音楽。
でも、人間はより多くの感覚を使う状態が“面白い”と感じるのでしょうし、そういう状態を“感動”と言うのでしょう。
聴衆の感動が、「熱」として奏者に伝わって、良い演奏のパフォーマンスを生み出すのだと思います。
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「言葉の力」というものはあるし、「ペンは剣よりも強し」ということもあります。さらに、「音楽は言葉よりも強し」という場合もあるでしょう。
言葉ではなかなか伝わらないもの、言葉にできないもの、も音楽ではスーッと伝えられることもあります。ということで、「音楽の力」というものはあると思います。
言葉は、耳や眼で受け取って理解して、自分のなかでこれまでの経験や記憶と混ぜ合わせ、解釈して動かされます。動かされるというのは、つまり自分の中で考え方が変わったり、知識が増えたり、感動が生まれたりします。
さらに、言葉は出す側の思いのすべてを載せてくれるわけではなく、かなり限定されます。そして、受ける側も、自分の解釈でしか受け取ることができません。“伝わらなさ”や誤解はここから生まれます。
とくに「感動」というムズカシイものは同じ言葉を受けとったとしても生まれるかどうか、その程度は受け手によるところが大きいと思います。
でも、音楽は、ダイレクトに感動を発生させると思います。そして、感動を得るために我々は音楽を聴いていると思います。
もちろん音楽を聴いて、このフレーズは、このメロディは、変調の使い方は良いから覚えておこうなどと、知識として残るということもあります。
でも、そういう知識を増やそうとして我々は音楽を聴いているわけではなく、それこそ「あのときの感動をもう一度」と思って聴くのではないでしょうか。
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音楽は日常生活に「感動」をもたらすと思います。・・・こんな文章は巷にいくらでもあるかもしれませんが、改めてそう思います。
つまり、音楽を伴う日常生活や作業、仕事は感動を伴いやすいのではないでしょうか。学校の行事でも、例えば合唱コンクールなんかは強く記憶に残っていませんか。
また、音楽は記憶の栞(しおり)として、記憶のタグになります。これも、音楽が生活に感動をくっつけているためでしょう。感動を伴った記憶は残りやすいと言います。
あの時聴いた音楽を今聴くと、あのときの情景が浮かんできます。つらかった学校生活やら、つらかった訣別のあとやら。
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音楽のすばらしさを再考させてくれた、演奏でした。