原体験ドリブン チカイケ秀夫 光文社
最近、お盆で実家に帰省した際に、アルバムを見返しながら自分の「原体験」を考えたことがあり、この本を思い出しました。
たしか3歳くらいのころだったでしょうか。祖父は近所に努めており、その出勤前、そして私が幼稚園に登園する前の朝のわずかな時間でした。
その時間に祖父が自宅近くを通るローカル線の駅に連れていってくれました。当時使っていた自転車の前カゴが大きめだったので、そこに乗せられて連れられました。
ディーゼル車両が通勤通学用メインに走るくらいの、本数の少ないローカル線でした。二駅くらい乗り、往復で元の駅に帰りました。
今でも対向ホームに停まるいわゆる“国鉄色”の列車と、鉄サビにより赤茶けた台車やエンジン周り、バラストとレール、その鉄の匂い、そして枕木のタール加工の匂いが、頭に残っています。
栗の木が硬くて丈夫なので枕木に良いなどという話も、そこで教えてもらった気がします。
他には祖父との記憶はほとんどありません。でもそのエピソードが原体験として、今の鉄道好きに繋がっているのではないかと思います。
また、そのとき駅で感じたであろう“鉄の匂い”は今も出張などで駅と訪れると感じます。嗅覚は記憶と強く結びついていると言われますが、対向ホームの列車の光景が、頭に浮かびます。
あるいは読書。多く読むようになったのはここ数年ですが、実家にはたくさんの絵本や図鑑があり、読み聞かさてもらったり、自分で読んだのだと思います。
それも原体験となって、今の読書好きの後押しをしてくれているのかもしれません。
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今の世の中、情報はどこまでも広く浅く広がっています。メディアやインターネットの発達により、おびただしい情報に日々触れることができます。
そして、常に情報にさらされていると、思考は疲弊し時間も浪費します。情報の選択が必要です。
膨大な情報の中からどれが自分に必要な情報なのかを選択するためには、まずは自分の立場・軸が必要と考えます。
もちろん今の仕事や趣味などを軸とすることも間違いありません。一方で、昔から自分を貫く一本の棒のような軸も、あるかもしれませんし、そんな“自分軸”が見つかれば、強力な立ち位置を得ることができるでしょう。
“去年今年貫く棒の如きもの”
虚子はこう詠みました。時間を超えて貫く軸が、皆さんにもあるはずです。それを見つけて、確乎たる立ち位置の柱にしたいものです。
この本は、「原体験」を自分の軸としてよりどころとし、不安定で情報過剰な時代を生きていくための、指南の書となる一冊です。
原体験にひもづく言葉は聞く人に厚みや重みを感じさせます。(P32)
言葉は色々なものにひもづきます。一つの言葉はそれを発した人の頭の中を代表して出てきています。その人の知識や経験などをまとめて、あるいは大部分をそぎ落として言葉となっています。
だから、話す内容が十分な知識や経験に裏打ちされたものであれば、聞いている人もその説得力を感じますし、逆にうろ覚えや一夜漬けの言葉であれば、発言に空虚感を伴います。
そして、特に言葉を発するにあたって後ろから支えてくれるのが原体験でしょう。原体験は豊かな無意識を造り、発する言葉に次々に補給を投じてくれます。
たとえば会社や学会でのプレゼンテーション。
プレゼンの練習も何度も何度も繰り返し行っていると、次第に話す内容が自分の頭に沁み込んでいき、身体も覚えますが、次第に造られた無意識も働いて、うまく話すことができるのだと思います。
必ずしもそうもいきませんが、もし話す内容が原体験にひもづくものであれば、昔から積み重ねられて構築されてきた無意識は、大いに発言を助けてくれるでしょう。
そして、そういった下支えされた発言が、聴く人に厚みや重みを感じさせてくれるのです。
ひもづきを、話している自分でも感じられるかもしれません。なんとなく得意げにしゃべることができているような感じや、背後に控えている知識や経験に裏打ちされて話すことができるような気がすることがあります。
私も飲み会などで読書や鉄道関係のことをしゃべっているとよく話が盛り上がります。それこそ“芋づる式”に、ひもづいた知識や経験が次々に出てくるのです。ま、相手にもよりますが。
原体験は、無意識の世界で他の知識や経験と密に繋がり合ったものなのです。里芋の親芋みたいなものです。
原体験を意識することは自分の内面を起点とする動機、「内発的動機」を強化することにつながります。(P48)
「やってみよう」「がんばろう」という気持ちを起こさせる“動機”ですが、これには外発的動機と内発的動機という分け方があります。
外発的動機というのは給与や地位などの外から与えられるものです。“インセンティブ”ってやつですね。
一方、内発的動機は自分の中から湧き起こるものです。“やりがい”や“好奇心”などがそれに関わるかと思います。
もちろん給与も生活のためには必要ですが、給与のためだけを考えて仕事をするのは、なかなか寂しいものがあります。
田坂広志氏は『仕事の報酬とはなにか』(田坂広志 PHP文庫)で、仕事の報酬には給与や地位以外にも多くのものがあると述べます。能力、成長、姿勢、共感、仲間、新たな仕事などです。。
“やりがい”が満たされること、“好奇心”が満たされることも、報酬と言えるでしょう。ときにはお金よりもうれしいこともあります。
一方で、こういった内発的動機が満たされない仕事は、いわゆるストレスの原因となります。お金のためだけに仕事をするのではなく、自分の腕を磨くこと、知識や技術をつけること、もちろん家族のためなどやりがいを求め、それが満たされることがあれば、悪いストレスだけとはならないでしょう。
また、今後はAIの発達により、だれでも手順通りにすればできるような仕事は、AIにとって替わられる可能性があります。
AIに無理な仕事とは何か。それは自分の“やりがい”や“好奇心”、“成長”などを軸として個性的な創意工夫を注ぎ込んでいく仕事です。
その“やりがい”を感じるものは何か、“好奇心”を感じるものは何か。そこに効いてくるものも、自分の原体験なのではないかと思います。
「こういう行動をとると、こんな感情がわいてくる」という自分のパターンがわかれば、自分を幸せにする行動を意識して選び取れるようになります。原体験を言葉にして見つめ直すことで、自分の未来を導き出しやすくなります。(P177)
本好きならちょっと本屋に行ってみる。鉄道好きならちょっと駅に行ってみる。行動をとってみることが大切です。
感情は行動に伴います。よく“悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ”と言われます。悲しい場面で悲しい感情は一瞬出現するでしょうが、そのあと泣くという行動が生じることによって、悲しみは増幅されます。
逆に考えると、自分の好きな行動をとることにより、感情も好ましい方向に変わるのではないでしょうか。
今は新型コロナウイルス感染症の影響で少なくなりましたが、以前は出張で新幹線に乗る機会が多くありました。
格好の読書場でもありますが、なんとなく電車にのるというだけでもウキウキしたものでした。周囲のひんしゅくをかっても、飛行機よりは出来るだけ新幹線にしました。
これも、最初に述べた自分の原体験が効いているのかもしれません。
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さて、言葉にして書き出すということは、自分の頭の中を引っ張りだして、現示することに他なりません。声は消えてしまいますが、文字として書けば残ります。
自分の原体験となったエピソードが思い浮かべば、それを書き出してみて、その言葉をじっと見つめること、考えることで、今につながる軸が見えてくるかもしれません。
『ソース~あなたの人生の源は、ワクワクすることにある。』(マイク マクマナス VOICE)という本でも、これまで経験したワクワクすることを書き出す作業が勧められていました。
言葉にすることによって、実際に同じ経験を再度体験することは難しくても、頭の中で追体験し、いくつかの原体験から自分なりの軸を紡ぎ出すことができるのでしょう。
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原体験は自分という樹木の太めの枝になっていると思います。そこから小さな枝が出て葉を茂らせると、元々の大枝は見えなくなりどこにあるのか分からなくなるかもしれません。
しかし、今の仕事や活動である小枝や葉の元には、しっかりとした大枝があるのです。そしてその大枝があってこそ、枝と葉を茂らせることができているのです。
大枝は、他の枝も生やしています。つまり、自分のいろいろな活動の共通軸となっています。
一般的に、表面的に行われる活動は違っても、その根底に流れる哲学は共通するものがあると思います。
おそらく人間の活動には、人間ならではの問題があり、考え方があり、また解決もあると思います。
たとえば鉄道であれば、列車がカッコイイとかスピードがスゴイとかもありますが、その運行システムや安全管理、および業務には、いわば“交通哲学”ともいうべき哲学があるでしょう。
一方で、医療界も安全が第一原則であります。聞くところによると医療事故への対応は、航空・鉄道事故への対応から多くを学んでいるということです。
さて哲学。古来この世界をどう捉え、人間はどのように生きればいいのかを多くの哲学者が考えていらっしゃいましたが、要するにいろいろなことに共通した大原則の学問と言えましょう。
それは樹木における原体験の大枝のように、様々な活動を支え、豊かな文化・文明という葉を茂らせ、ときに果実を結果する大元なのです。
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原体験を考えること。それは自分の軸となる立場を確乎たるものとし、広い世界を捉える足場を造ることです。
さらに自分の、あるいは人間全体の活動を支える原則をたどるとき、導きの綱となってくれるものでもあります。
あるいは”ドリブン”の名のごとく、大洋に航海する大型船のスクリュー、あるいは乗用車や列車の動輪を力強く駆動する「ドライブシャフト」の役割を果たすのが、原体験なのです。