本日は、お日柄もよく 原田マハ 徳間文庫
私は人前で話すのは苦手なほうです。得意だという人もあまりいないのかもしれませんが。そもそも多くの人を前にして話すとなると、それなりに考える必要があります。
そうは言っても今後、結婚式でスピーチする場面もあるかもしれませんし、新型コロナ感染症によって今は減ってますが、学会発表など人前で話す機会もありましょう。
そんなことを考えているときに、SNSで見知ったこの本。ご祝儀袋に見立てた面白いデザインの表紙であり、書店でも以前から見かけたことはありました。
最近、自分の中で吹いている小説風(かぜ)にも押されて、今回ついに手に取り読んでみたのでした。
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この物語は、主人公が巻き込まれる結婚式のスピーチや会合の挨拶、選挙演説など豊富なエピソードを織り交ぜながら、人前で話すときのポイントを、学ばせてくれます。
たとえば、「静かになるのを待ってから話し始める」などです。
そういった実用的なところもある小説ですが、それもともかく、やはり「言葉」について深く考えさせてくれる本でした。
最近は「言葉」にこだわるようになっている自分ですので、どんな本を読んでも”言葉アンテナ”に引っかかるのかもしれません。
「わかってないのねえ。言葉は、メッセージカードのようなものよ」
一枚一枚に自分の思いを書きつける。とっておくもよし、日々眺めるのもよし。必要なくなれば、破っても燃やしてもいい。死ぬまでずっと、心にしまっておいてもいい。(P22)
え、“言葉はメッセージカードのようなもの“って、メッセージカードに書かれているのが言葉なんじゃないですか!? と引っかかりました。
さて、どういうことだろう。メッセージカードは送るものである。年賀状や暑中見舞い、メールなどと似た部類だろう。
メッセージカードは見ないと見えない。年賀状やその他手紙、電子メールも、紙を見るなり、開封して内容を見ないと、何が書いてあるのか分からない。トラブルか何かで届かない場合も分からない。
これに対して、聞く言葉はどうか。これは音量にもよるが、時間的・空間的に近ければ自然に耳に入ってくる。もちろん、注意してよく聴くという場面もありますが。
つまり、言葉は発した、送っただけではダメということだろう。相手が言葉をしっかり受け取り、その内容を見る(理解する)とともに、さらにフッと浮かぶ自分の解釈や思いとともに頭の中に留置します。
そして、空中に発せられた話し言葉と違い、メッセージカードや手紙、電子メールは残ります。モノとして、記録として。時間・空間を超えて。
たとえ大衆に向かって発せられるだけのスピーチも、ただ聞かれたり聞き流されたりするのではないようにしたい。メッセージカードや手紙のように相手の中に少しでも変化を起こし、少しでも残ってくれればいい。
そんな思いで話をする気持ちが、重要なのだと感じました。
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そういえば、ちょっと前は「話す」と「書く」の違いについて考えていました。書くように推敲して話せればいいなあと。
最近は「聞く」と「読む」の違いについて考えています。
言葉をメッセージカードと考えて発するのは、相手に“読むように聞いてもらう”ということかなと思いました。
「読む」はけっこう能動的な作業です。「聞く」も、ときには必死に聞くシチュエーションもありますが、「読む」の大変さにはかないません。
大変な作業をしたぶん、読んだ内容は心に残ります。メッセージカードや手紙、そしてその内容が時間や空間を超えて残るように。
そんなスピーチを目指したいですね。
まず、心を平静にして、思い浮かべる。このスピーチの目指すところはどこにあるのか。(P80)
ざわつく聴衆。結婚式の披露宴などでは当然です。さあ、スピーチ。司会の紹介を受け、まず壇上に立っては、この“ざわつき”が収まるまで待つのがポイントのようです。
もちろん、一声を開始して収めるやり方もあるでしょうが、受動的におしゃべりを止めた場合と、能動的に止めた場合では、後者のほうに聞く耳とアンテナが育っているでしょう。
なので、ざわつき収まり待ちの時間には、“このスピーチの目指すところ”を考えておきましょうか。
たとえば結婚式披露宴。乾杯の発声であれば、楽しい祝宴の開始を告げるわけです。テーブルスピーチなどでは新郎や新婦のエピソードを盛り込み、場を盛り上げます。
親や周囲の人びとへの感謝のスピーチ、儀式を完了し、皆の今後を約束する締めの挨拶もあります。
そんなことを思い浮かべながら心は平静になり、ざわつきも収まってくるのです。立ち並ぶアンテナと注がれる視線のもと、さあ。
言葉っていうのは、魔物だ。人を傷つけも、励ましもする。本やネットを目で追うよりも、話せばなおのこと、生きた力をみなぎらせる。この魔物をどう操るか。それは、話す人次第なのだ。(P134)
話し言葉には、文字にはなかなか難しい“いろいろな要素を加える“ということが可能です。つまり、表情や身振り手振り、声色や大小、ペースの緩急などです。非言語的コミュニケーションといったところでしょうか。
もちろん文字でも、太線にしたり傍線を引いたり、色や字の大きさを変えたりできます。手紙の紙質、インクの具合などもあります。
言葉の内容はもちろん、その他の様々な要素が相手に様々な印象を与えます。
そして、ちょっとした言葉や非言語的コミュニケーションも、相手側の理解や解釈によって、相手にグサッとくることもあります。傷つけることもあります。
もちろん、思いがけず自分の現況や過去の経験などと相俟って、励みになることもあります。
文字にしても話し言葉にしても、受け取り側の理解や解釈の違いにより、発した側からすれば想定外の受けとられ方をする可能性がある。言葉の性質の一つとして、しかと心得るべきことです。
しかし、そういう強力な影響を与える力も持っているわけです、言葉は。上手く使って、相手に励ましや感動を起こすようになりたいですね。
「聞くことは、話すことよりもずっとエネルギーがいる。だけどその分、話すための勇気を得られるんだ、と思います」(P158)
よく、「話すことのコツは聞くこと」というハナシを聞きます。それに対して、聞いてばかりいたら、話せないじゃないか、と思うこともあります。
会話が、対話が成立する、あるいは成功するとはどういうことでしょうか。その会話・対話が終わったあとに、両者ともほどよい充実感を得られているときでしょう。
言いたかったこと、会話中に思いついたこと、相手の話への反応など、話したかったことを相手に伝えることができた、ちょっとは言ったことを理解してもらえた。
お互いそんな気分になるのが、良い会話・対話かと思います。飲み会なんかもそうです。
話す場としての会話・対話の場、飲み会、と考えてしまうと、一所懸命に話さなければと構えがちになります。どうしても、聞くことがおろそかになります。
だから、“聞くという意識”を積極的に持つことにより、本当に“100%聞く立場”にならないまでも、相手の話をよく聞くことができるようになり、相手も満足するのです。
自分も、スキをついて話します。おそらく、よく話を聞いてもらった相手は、自分の話も聞いてくれるでしょう。
もちろん、聞く時間を作ることによって、自分が話す時間が削られるでしょう。でも、全体の会話・対話の成否としては、良い方向に向かうのではないでしょうか。
友だち。そんな単純なひと言に、なぜだか私の心は震えた。
・・・ちょっとは休めよ、という言葉もまた、がんばろうぜ、というひと言よりも、ずっと心休まる想いがした。(P317)
シンプルな言葉。抽象度の高い言葉。これは最強です。捉え方が無限大。
直接的に伝える。婉曲的に伝える。あるいは伝えたつもり。そんな言葉も、相手に入ると、どうなるか分かりません。
言葉はときに爆発的に増大して、相手にものすごいエネルギーを与えます。それにはタイミングがあります。相手の身体・精神状態にもよります。
「休んでください」「がんばってください」「応援してます」。もちろん、そういった言葉も相手をいたわり、励まします。
でも、「友だち」だと伝えること。それだけで、私は相手を、本当に相手が良い方向に向かうように手助けしたい、支えたいという気持ちがひしひしと感じられます。
「ほんとうに弱っている人には、誰かがただそばにいて抱きしめるだけで、幾千の言葉の代わりになる。そして、ほんとうに歩き出そうとしている人には、誰かにかけてもらった言葉が何よりの励みになるんだな、って」(P333)
そして、言葉には限界があります。大丈夫。人間のコミュニケーション手段は言葉だけではありません。
言葉は手軽で使いやすく(一見)、便利なものです。たいていの場合即座に発することができますし、紙などにかいて記録することもできます。
今の世の中は言葉が飛び交い、言葉に充満した世界ですから、言葉こそは、言葉こそは、と思ってしまいがちです。
でも、“言葉にならない”こともあります。どんな言葉も相手を痛めるだけ、という場合だってあります。
そんなとき、安易に言葉を弄しないでよいのです。一緒にいる。抱きしめる。手をつなぐ。頭をなでる。肩をたたく。背中をさする。
そして、立ち上がり、歩きはじめたところの相手に、そっと相手の中に届き、すぐにではなくてもいつか励みになる言葉を、吹かせればいいのです。
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なぜこの物語のスピーチは生きるのか。スピーチを生かしているものとして、バックグラウンドがあるでしょう。日々の思い、希望など。この小説でスピーチ部分以外の物語です。
だから、たとえば結婚式のスピーチをするにしても、新郎新婦や両家、出席者のバックグラウンドをよく知り、考えて拵えるのが大事でしょうね。
まさに、氷山の一角として膨大な下支えの上にキラリと輝く、話にしたいものです。
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うーん。
小説は、物語の内容を楽しむのが第一だと思いますが、どうも私は小説慣れしていないせいか、なにかしら教訓を得ようとか、知識の増築や比較・照合を考えてしまいがちです。
もちろん、これまでの自分の知識や経験で小説の読み方は変わりますが、あまり自前の説や解釈をもちこます、純粋にお話しを楽しむことも考えたいですよ。
“謙虚に読む”という姿勢ですな。精進します。