40代の鬼100則 堀内一人 明日香出版社
私も最近(そんなに最近でもないが)40代となり、立場的にもいわゆる中間管理職というか、上の意見を聞き下の意見を聞く立場になってきた(管理職というほど偉くもないが)。
20代でこれをやれとか、30代はこうしろとか、50代はこうこうとか、様々な年代向けの本が出版されている。
そのなかで40代についての本を読むと、40代というのはやはり上と下との間で大変な時期なのだというような内容が多いと感じる。
確かにそうかもしれない。しかし、それだけ必要とされているのかも、などと期待するところもある。
40代に限らず、いわゆる中間管理職の大変さに困っている人、職場での自分の立場について考える人は、ぜひ読んでいただきたい。
こんな素晴らしい40代の役割を軸に、自分の立ち位置が分かるかもしれない。
上司と部下の「板挟み」はこう乗り越えろ
・・・まずやるべきは「自分なりの解釈」を常に持つこと。上司が決めたことや言ってきたことに対して、自分なりの「意味づけ」を行う習慣が重要。(P56-57)
40代ともなると、上に部署長クラスの上司、下に構成員である部下の板挟み状態になるだろう。
それを“つらい、大変”とネガティブにとるか、“やりがいがある、大事な立場”だとポジティブにとるかは任せる。
ただ、この立場は上司と部下の間の大切なパイプ役と思っていいだろう。ただ、単なるパイプではいけない。
単なるパイプなら、電話やメール、文書で代用がつく。人間である必要はない。ハトでもよい。
なぜ40代の人間がパイプ役でありながら人間である必要があるのか。そこは、ある程度の情報加工が必要だからだろう。
上司の見識に裏打ちされた言葉は、そのまま部下に伝わらないかもしれない。なにしろ知識も経験も(年季も)違うのだ。同様に部下の希望に満ちた考えも上司に伝わらないかもしれない。
そこを中間に立つ人間が入ることにより、上司の言葉を部下が分かりやすく消化し、ときには少しの追加、具体化、応用も加えて伝え、部下の考えを上司の考えも鑑みつつ伝える。これは(AIでもできるかもしれないが)、中間の人間の役割だろう。
板挟みで結構! 間に挟んでくれているおかげで、両方の板とも痛まないですむのだ。
部下を育てることへの「誤解と重要性」
・・・部下の「やりたいこと(Wish)」と「やるべきこと(Mission)」の接点を探りながら、部下の「できること(Can)」を増やせるようなテーマを設定し、それを部下と握り(目指すことを共に納得了解する)、達成実現へ行動のサポートをしていくことだ。(P60)
これも同様に、上司の崇高なる考えと部下の勢いある考えのすり合わせが必要なところである。
上司は職場がどのようになることを望んでいるのか、部下の一人一人にそれぞれどのように希望をかなえ、個性的に伸ばすことができるかを日々考えている。
また、部下は部下で自分の希望があり、働き方があり、生き方がある。仕事にやりがいを感じたいし、どんどん成長していきたいだろう。
これまたストレートに両者がぶつかり、板にヒビが入ると困る。そこで40代くらいの中間の人間が入り、すり合わせるのだ。
部下の「自主性・積極性」を引き出すには
・・・何より重要なのが、上司であるあなた自身が「失敗や弱みを部下に見せる」ということ。そのスタンスや行動そのものが、部下に「失敗しても大丈夫なんだ」という感覚を植え付け、自主性や積極性を刃具群で行くことになる。(P64-65)
「自主性・積極性」はある程度必要である。いわゆる「主体性」にも繋がることである。
なぜ自主性・積極性が培われないか。そこにはひとるトライすることへの恐れが、その目先には“失敗”に対する恐れがあるだろう。
失敗しない人間はいない。「私、失敗しないので」などと言っていた医師がいたような気がするが、あれは架空の人物である。失敗しない人間には成長もない。
自主性・積極性の原動力になるものの一つは、自信だろう。自信はある程度の努力と経験によって知らないうちについてくるものだから、とりあえず努力して経験を詰めばよい。
そして、あとにも述べるが、ときどき失敗をする。次善策とともにそこから最大限のものを得て、次に生かしていく。仕事の道はそういうものだろう。
そして、部下にとって上司である自分が失敗を恐れず、失敗しても学ぶ姿勢を、背中を見せることが大切だ。
最近、「背中を見せる」という言葉がけっして”カッコイイ”背中を見せるだけではなく、”カッコワルイ”背中を見せることも必要だということを表していると、気付いた。
あなたの「仕事の神」はどこにいる?
・・・じゃあ、どう自己マネジメントするのがいいのか?
その答えは、実は、常に目の前にある。そう、目の前の自分の仕事だ。
・・・要するに、目の前の仕事での「ゴール設定力」が40代には重要で、目の前の仕事にどんなゴールを設定するのか、それを自ら作り出し、自ら行動し、自ら評価することが、その後の人生の大きく響いてくる。
「神は細部に宿る」。そう、目の前の仕事こそ、神だということ。(P80-81)
自己マネジメントの基本は、“眼前の仕事をコツコツ行うこと”と簡単に考えてよいだろう。森信三先生もそうおっしゃっていた。
たしかに仕事の大部分は“雑用”的な楽しくはないものだ。しかし、それも大切な仕事なのだ。必要とする人がいるのだ。
「今日はここまでやる」「何ページ読む」などの“ゴール設定”を行い、行動し評価することが、少しの役に立つかもしれない。
そうしているうちに、「仕事の神」は、ときどき舞い降りる。仕事をしていて、普段は感じない「やりがい」などを感じることがある。また、感謝されてうれしいこともある。予想外にうまく進むこともある。
仕事の神は、素晴らしい仕事をさせてくれるわけではない。そう、仕事の神は目の前の仕事を素晴らしいものに感じさせてくれるといったところか。
とりあえずコツコツと、目の前の仕事をしていればよい。仕事を雑用と考えれば雑用になる。神の作業と考えれば仕事の神と一緒に歩んでいける。
「失敗」との付き合い方・扱い方
・・・世の中や社内でなんとなくぼんやりと認識されている失敗というものは、かなり抽象度の高い言葉だし、間違った扱い方をしているケースが多い。あなた自身も然り、あなたの部下にも噛み砕いて伝えていくことが重要なんだ。
・・・失敗の対極にあるものは、「何もしない」「生きていない」ということだ。(P84-85)
40過ぎてある程度の地位になったからと、失敗を避けようとして、逃れようとしてはいけない。もちろん、失敗しないようにすることは必要だが、かならず失敗は起こる。
自分に原因があることもあるし、あるいは自分としては仕事などには慣れて失敗は少なくなっても、部下や同僚の不注意による失敗も多くなるだろう。
そういった失敗を「次は気を付けます」程度でやり過ごすか、あるいは人生の一大経験としてどれだけ自分の血肉にしようとするかで、その後の生き方は変わってくると思う。
人は失敗からしか成長できない。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉もある。
さまざまな意外性と幸運によって勝ちは導かれる。綿密な計画と練習でも、必ず成功するとは限らない。
意外性と幸運とを、我々はどうすることもできない。ただそれらが訪れたときに最大限利用できるように練習なり勉強なりしておくことだけである。
一方、失敗は「あれがまずかった、これがまずかった」と、意外ではなくまさしく“意内”のことが思い浮かぶ。そこから次につながることを学べばいい。
進んで失敗することはないが、起こってしまった失敗を大切にしたい。
失敗の活かし方を、新入社員や経験の浅い者はよく分からないかもしれない。できれば40過ぎればそういった経験を積んで、教えてあげられるようになっておきたい。
そこに必要なのは、「謙虚さ」だよ、と。
仕事で「感情喚起力」を研いでおけ
・・・今の仕事でそれを磨くためのポイントは1点。すべての「人との接点を意識する」こと。それは、身だしなみもそうだし、姿勢や態度、言葉使いやひとつひとつの所作もそうだ。常に「人から見られている」という意識がとにかく重要。(P136-136)
“人間の悩みはすべて対人関係から生じる”というのはアドラーの思想の根幹である。そしてまた、“人間の喜び・幸せもまた対人関係から生じる”というのも、然りである。
さらには、“人間の成長もまた、対人関係から生じる“と私は言いたい。
もちろん、ときには一人になり自分をメンテナンスし掘り下げる時間も必要である。
でも、多くの職場では複数人の他人と働く機会が多い。
対人関係の要点をまとめたのが「礼」である。かつては得体のしれない鬼神に対して、とりあえず恙ない対応として「礼」が用いられたのかもしれない。
神棚に対する姿勢であったり、土地を開墾する始まりの儀式であったり。
ほとんどの場合、職場の人間は鬼神よりは物分かりは良いと思われる。それにしても自分以外の人間に当るには、ある程度の「礼」は必要だろう。
原点は、見知らぬ他人が接してくるとして、自分がどうされたいか、だろう。
相手の視覚情報となる身だしなみ、姿勢や態度を整え、相手の聴覚情報となる言葉づかいを整える。
気にしすぎも困るが、ポイントは「人から見られている」という意識か。これは逆に、自分が他人として自分をみて、みっともなくなければ良しということだろう。
人間関係への「執着」を解き放て
・・・人間関係を良くしよう、良くしようと執着するからうまくいかない。うまくいかなかった経験が自信を喪失させ、その喪失感がさらに人間関係への執着を生み出す。この繰り返しを絶つことが重要。(P148-149)
仲良くしようとして、必要な厳しさを失ってはいけない。
職場はそこで働く人の成長の場でもある。仕事はアドラーのいう人生の3つのタスクの一つであり、仕事を通しての成長が望まれる。
ここはちょっと注意しておくべきところか、と思ったとき。ブツブツ小言を言うとうるさい上司だと思われるかもしれない。
それよりは、自分が折れたり、うまく繕ったりして事なきを得ていればいいと感じるかもしれない。
しかし、その後輩はおそらく自分よりも長くその職業、職場で働くのだ。いま忠告するなり叱るなりすることが、その後輩のその後の人生に大きな改善をもたらすかもしれない、と期待する。
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まあ、上司と部下の間でそれなりの役割をしながらも、自分の仕事、生き方も進められれば満足のいく40代といえるだろう。
40代の生き方については、以前紹介した『40代から深く生きる人、浅く生きる人』で勉強し、仕事についてはこの本で勉強しよう。
そういえば40代は寿命から考えてもたいだい折り返し点である。水泳でもスキーでも金メダルをとったスノボでも、折り返しの良さがポイントのようである。
きっと、人生でも大切な時期なのだろう。