7000人の子の命を救った心臓外科医が教える仕事の流儀 高橋幸宏 致知出版社
あまり、こういう本を読んで他の医療者の話を聞くのは好きではありません。自分も医師として、医療そして手術をする立場にあります。だから医療関係の話や手術の話については、傍観者になりたくないという気持ちがあります。
医療関係の本を読んでいると、内容に対して自分はこう思うという意見は出てくるものです。実際に医療や手術に携わる身として自分なりの考えがあり、他人の意見や考えにあまり左右されたくないという気持ちがあるのかもしれません。
そんな気持ちもあってか、これまでも医療関係の本は、あまり読みませんでしたし、書評することも少なかったです。なんとなく医療の話は、いつでも自分のこととして考えたいのです。
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そう感じながらも、書かれていることを自分の中に取り込んで解釈したり、自分ごととの関連を考えたりはしますが、まずは一つの考え方、意見として素直に受け止めたいと思います。
自分が担当する科の話についてはもちろん、自分の専門外の疾患や、これはもう本や文献を読んで知るしかない基礎的なことについては、自分の専門との関連から考えてみたりします。
日常の仕事においても、先輩や上司の意見や教示をよく聞くことが、自分の進歩に大切です。とくに外科医(に限ったことではありませんが)は、知識とともに技術や「コツ」の修得が必要です。
そこには、教科書を読んだり話を聞いたりするだけでは得られない、いわゆる「暗黙知」「経験知」があります。そんな代物をどうやって勉強するか、これは難しいことです。
しかし、この本を読むことにより我々は、熟練の外科医の経験を通して、そういった「言葉では表せないこと」の勉強の仕方を、感じられると思います。
著者は文字通り7000人以上の子どもたちの命を救ってきた心臓外科医です。しかし本の内容は心臓外科の専門的な話よりも、患者さんや手術に対する姿勢、考え方など一般的な話が盛り込まれています。
これはまさに、『医師は最善を尽くしているか』でガワンデ先生が述べた、医師の「パフォーマンス」に直結するものです。
外科医はもちろん、その他の医療関係者も、あるいは医療関係者以外でも、仕事に対する姿勢、部下指導、トレーニングなどビジネスの現場で活かせる内容が書いてある本だと思います。
つまり、自分のポリシーや戦力にあまりこだわっていると、望まない問題が発生した場合に対応できなくなるのです。・・・要は、手術の流れに沿うように要領よく流れをつくっていくことが求められます。(P22)
手術に際しては、あらかじめ流れや段取りを考えておくことが重要です。画像をよく見たり、教科書を確認したり、以前の類似した手術を見直したりします。
私の場合は、あらかじめ手術の内容を文章にまとめ上げ、かなり予測は入りますが術前に考えておきます。手術のあとには、「手術記録」という文章を書くので、その手術前に作成した文章を使うことができます。実際の手術で違ったことを直せばいいわけです。
しかし、実際に手術を行ってみると、必ず予測とは違うことがあります。思わぬところに血管があったり、腫瘍の位置関係が予想と違ったりなど。
逆に、手術前の検討ではどうなっているかよく分からなかったことも、実際に手術で見てみると、「こうなっていたのか」とよく分かることもあります。
そこで、手術について私は二つのことを肝に銘じています。「手術では、必ず術前に予測したよりも難しいことがある」「手術では、必ず術前に予測したよりも分かりやすい」の二つです。
前者については、ここで著者が言っているように、途中で流れを変更することも考えて臨機応変に対応することが重要だと思います。
皮膚感覚を自分のモノにするには、なるべく多く手術室にいること。これが一番手っ取り早い方法です。だから私は若手外科医に対して、できる限り手術室にいるようにと指導しています。(P28)
タイミングよく手術室にいるということは、一種の才能だと思います。よいタイミングで現場にいる人は、上司や周りの人に引き立ててもらえるし、愛されます。逆にいうと、そういう人でないと決してよい仕事はできません。(P49)
手術に限らず、仕事は「場」が大事です。手術においては、麻酔科、看護師、道具、画像、はては患者さんと一体になって手術をする感覚です。
まずはあいさつ。麻酔科医や看護師、技師などに「よろしくお願いします」。これをするとしないとでは、しないことが±0だったとしても、することはプラスにしかならないと思う。
場の空気を保つことも必要です。怒らないことです。「こうしたほうがいい」という「叱り」のようなものは、感じたらその場で挟んでもいいかもしれません。相手の教育にもなると思います。
しかし、手術は緊迫した作業です。どうしても“イラッ”とくる場面は訪れます。でも、怒鳴ったりしてしまうと、場の空気が悪くなり、怒鳴ったほうもモラルが下がります。
手術室には、空気中のチリに対するアラームがあります。ドアの開け閉めが多いときなど、チリが増えるとアラームが鳴ります。“悪い空気”についてもアラームが欲しいものです。
「仕事は愉しく」という覚悟で臨む
・・・愉しく仕事をしているから変な緊張感もなく手術が滞りなく進み、結果的に時間短縮を可能にしているのです。
・・・もう一つの覚悟は、一旦手術室に入ったら、嫌になってもやらなくてはいけないということです。(P34-35)
手術が「愉しい」というのは、もちろん娯楽として「楽しい」のではありません。自分も周りも機嫌よく、ときには難しいところはあっても手術は進んでいる状態だと思います。
手術に限らず、仕事は愉しくしたいものです。そしてこの「愉しい」状態というのは、いわゆる「フロー」に入っている状態ではないでしょうか。
「フロー」に入る要素として、ある程度の仕事のレベルと緊張感が必要だそうです。あまり自分にとって簡単で、緊張感なくやっててもだめです。
そのためには、難しい手術や仕事はもちろん、簡単なことに対しても、いつでも緊張感を以って望むことがよいでしょう。「初心忘れるべからず」の言葉は、こういう一端を示しているのかもしれませんね。
若手外科医は上司が持つ経験値にはどうしても勝てません。また、手術も簡単にはさせてもらえません。唯一経験値の差を埋める術があるとすれば、自分だったらこうやる、こう工夫すると考えることです。それが手術IQを高めることにも繋がります。(P53)
そうです。ある程度自分のなかでシミュレーションを繰り返してみることが重要だと思います。手術にしても、仕事で、たとえばプレゼンテーションにしても。
一回の手術では、一回分の経験値にしかなりません。しかし、その手術のために術前に何度も頭のなかでシミュレーションしたり、絵を描いてみたり、手術の内容を文章にしてみたりすることで、手術そのものの何倍もの経験値を得ることができます。
「実際の手術をする前に、4回は手術をする」なんていう名言も良く聞きます。何度もシミュレーションすることで、実際の手術に役立つほかにも経験値を増やす効果もあるのです。
しかし、上司が若手に話すべきなのはそうしたことではなくて、自らの体験に基づく手術の要点です。最初は理解してもらえなくても構いません。(P75)
手術する疾患に対する知識や手術の技術、心構えなど。手術するに際しては様々な要素があります。しかし、上司が若手に話すべきことは、もちろんそういった一般的なことを教授することも必要ですが、もっと、上司や先輩だからこそ、経験値を積んだからこそできる話もあるでしょう。
個人的、具体的なことでいいと思うんです。こんな難しい症例があって、こういうところが難しかったけど、上司に教えてもらったようにやったらうまくいった、とか。
あるいは、手術する前はもう少し難しい症例かと思っていたけど、実際に手術をしてみたら、意外とスムーズにいった、とか。私の話ですが、上に述べた「手術では、・・・」×2、などもそうですかね。
つまり、「体験を語る」ということでしょう。
さらに、手術に対する姿勢、気持ち、考え方、あるいは情熱や気概のようなものは、けっして教科書に載っておらず、手術ビデオを見ても感じ取ることは難しいものです。
こういったものは、ただ、上司から後輩に伝えるしかないものだと思います。まあ、最近は手術に対する熱い情熱が感じられる教科書も見受けられますが。
叱るということは教育ではないと思いますが、その時にいわなければ身に染みないと感じるものなら、我慢せずに叱ればいいと思います。(P89)
叱るにしても、場と時(タイミング)が大事です。ある場面で、これはちょっと言っておいたほうがいいかなと思ったけれども、タイミングを逸してしまった。そこで後で別な場面で叱ろうと思っても、なかなか効果的にはならないと思います。
その時に、どうして叱られるような行動をとったのか。その状況や気持ち、考えがまだ残っている状況において、それに対して「叱り」を与えることが、効果的です。
後から言うと蒸し返されたり、ネチネチした感じにとられたりするかもしれません。まあ、そんなこと気にせず、言うべきは言うべきでしょうが。
今まで、“手術手術”といいながら概念的でわけのわからないものと向き合ってきたような気もします。でもやはり、多くの経験をして、美しいもしくは愉しいと感じること、それが手術であり、手術ができれば他のことが何でも楽にできるようになる、要は手術が生きるための基本として定義されるようになれば外科学はもっと人気が出るのではないかなとも考えます。それこそが手術が持つ人間学の本当の意味なのかもしれません。(P178)
外科のいいところは、いつまでも手術がついてくるところだと思います。逆に、手術がなくなったら外科とは言えないかもしれませんが。
しかし手術といっても、いまは開腹、開胸、開頭手術などまさに“切り開いて”の手術の他に、内視鏡手術やカテーテル手術など様々な形態があります。
消化管内視鏡や心臓カテーテル治療は、外科ではなく消化器内科や循環器内科の医師が行うことが多いです。
そういう意味では、医師というものはなにかしら外科的な、手仕事的な要素は多くの医師が有するのではないでしょうか。
診断においては、もはやAIのほうが人間の医師より優れているという話もあります。しかし、外科的手技については、ロボット手術などキカイの介入はあっても、最終的には人間の手で、そのとき感触を確かめながら、進めて行くしかないのではと思います。
こういった話は、手術以外でもどんな手仕事、あるいは職業上の技術にも当てはまると思います。農水産業、工業はもちろん、営業や接客といったサービス業でもそうです。
技術を単なる“技術”として活用することはAIでもできます。われわれ人間は、それを相手(患者、顧客といった人間、術野、農作物、あるいは自然など)のことを考え、相手にあった方法で応用すること、つまり「技術」を昇華して「アート」とすることが、大切だと思います。
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熟練の外科医が、手術や診療で起ることを切り口に、人間関係や仕事への向き合い方、そして人間の成長について我々に伝えてくれていると思います。
そして、こういったことは外科医の仕事のみならず、様々な職業に当てはまると思います。
こういう本を読んで、あまり人の意見に左右されたくないので、「何か自分と考え方が違うところがあっても、取り入れないよ」という突っぱねた気持ちもありながら読ませていただきました。
でも読んでみると、考えることは同じだなー、と不遜ながら感じました。