読書の見方、考え方

「深読み」読書術 白取春彦 三笠書房

「読書術」に関する本はたくさんあります。中でもこの本は、かなり高密度に読書の真髄が込められた本だと思いました。

最近、久しぶりに付箋の部分を読み返してみました。なんとなく自分のオリジナルだと思っていた読書に対する考え方も、この本に書かれていることが多く、この本から大きな影響を受けていたのかもしれません。

もしかして、自分が読書を続けるうちに結晶化してきた考え方が、著者の考え方に寄り添うまでになってきたのかもしれませんが。・・・不遜な考えですね。

著者は『超訳ニーチェの言葉』など、哲学を分かりやすく解説してくれる著書を、たくさん書いておられます。

数ある読書術の本の中でも、一読の価値ある本だと、お薦めできます。

「たった一つの正解が隠されていてそれをあてる」という学校試験のシステムで勝つことが得意だった彼らは、他の事柄についても同じように正解が隠されているという考え方をするようになっていたのだ。(P26)

私も、講義などで学生さんによく言ってます。学生さんは、こちらが質問してもなかなか答えてくれない。もちろん、まったく何を言っていいか分からなくて返答できないこともあります。

でも、「答えは多分アレかなあ」とか、「おそらくこのことだろう」と頭の中に思い浮かんでいても、なかなかそれを言葉に出してくれない。

まあ、かく言う自分もそうであったし、おそらく今もそうなので、なんとも言えませんが。

仕方ないのです。学校教育と試験のシステムは「問いと答えのパターン」をいかに早く覚え、出すかということに重点が置かれてきました。

しかし、社会に出て仕事を始めて対面する「顧客」、「患者」、あるいは「経済」、「社会」なんてものは、とらえどころのないモヤモヤした存在です。

そこにどう「とっかかり」を作るか。つまり「問いを作る」ということが、難しいんですね。「問い」を作って、ある「切り口」を作ってみて、それでどう見えるかが分かれば、モヤモヤしたものの一部分でも理解できるのです。

ある事柄について、いくつもの書物を読んだほうがいい。何冊もの本を読むことによって、今まで常識だと思い込んだいたものが、偏見だったとわかるからだ。(P61)

興味を覚えた事柄について、本を読んでみようと思い立ったら、私はまず新書から入ります。

新書はコンパクトに、一般向けに分かりやすく書かれていると思います。サイズも丁度いい。黄金比というくらいですから。

さらに詳しく知りたいときは、いろいろな著者がその事柄についてどう書いているか、数冊の本を購入して読んでみます。だいたい、3,4冊読むと、ある程度のことは見えてきます。

ある事柄について、こう書いている人もいる、また違ったことを書いている人もいる。そんなことを読んでいるうちに、自分の中にもその事柄に対する一つのイメージが形成されてきます。

無駄なく効率よく本を選びたいからレヴューなどを参考にするのかもしれないが、無駄とか効率とかいう考え方は儲けという成果を短期的に出さなければならない商売のときに使われるものであって、読書をも含めた文化的行為に適用できるものではない。むしろ、無駄や非効率は文化を文化たらしめるものだ。(P86)

まったく同感です。資本主義が流行っているので、どうもムダを省き、効率よく、利益の出る様に何事も勧めがちです。

読書なんてものはそんなものじゃあない。勉強だってそうです。無駄になるかどうかなんて、最後の最後まで分からない。

無駄と思われる、たとえば「試験に出ない」知識だとしても、知識どうしを繋げる橋やノリのような存在には、なっているはずです。

知識は、量や数よりも、「つながり」が大事なんです。脳の神経細胞だって、そうなんですから、きっとそうです。

この文章は、ストーリーになっているように見えるだけでストーリーになってはいない。行動の動機がまるで書かれていないからだ。ほろぼしたり対立したりで忙しいようだが、その理由がこの文章にはまるっきり欠けているのだ。(P94)

結果だけポンと提出されても、人間はすぐには理解できない。小さな子供にしても「どうして? なぜ?」と理由をたずねてくる。その「なぜ」がわからないと、子どもの中でストーリーという「流れ」ができないからなのだ。(P95)

根強い人気があるロールプレイングゲームも、この“ストーリー快感”を応用したものだ。主人公のキャラクターが敵を倒すごとに成長するという楽しみもあるが、やはり背後には、一連の流れが強く貫かれているのだ。(P95)

ストーリーは大切です。事実の羅列だけではなく、理由や思考、気持ちなどを盛り込んでこそ、文章が生きてきます。「ナラティブ」が大切とも言えましょう。

病歴も、この日にああした、次の日にこうしたと事実の羅列では面白くない。こう思ったからこの検査をした、この病気かと考えたからこの薬を出した、そしたらどうだった、と。

関わった人間の考えや思いが入れられるべきです。主観的なことを入れると、客観性が落ちる、と言われるかもしれません。

しかし、客観的な事実を含みつつ、それだけでなく、個人的な考えや思いを入れるほうが、読むほう、聞く方も大切な客観的事実を飲み込みやすくなると思いますよ。

なぞそうしたのか、なぜそう思ったのか、その理由が分かったほうが、物事は面白い。野球やサッカーを、ルールを知って観るか知らずに観るかの違いのようなものでしょう。

①書物の主張、あるいは結論が何であるかをはっきりと知る。

②その主張や結論を導いた根拠を押さえる。

③その根拠の前提となっているものが何かを押さえる。

(P134)

目次の中でことさら興味深い部分、あるいは資料として必要な部分があるならば、そこの章から読んでも構わない。というのも、そういった個人的なきっかけこそ、本を読む気にさせるものなのだから。そして、その後に残りの部分を読んでもいいのだ。(P141)

本の読み方です。

私も、本を読むときは、まず目次をじっくり見る様にしています。そうすると、その本で何が書かれているのか、どういう考えが述べられているのか、どういった結論にたどり着きそうなのかが、なんとなく把握できます。

文章の書き方のコツに、「結論をまず述べる」というのがあったと思います。これと似ているでしょう。

結論をある程度把握しておくことにより、その結論のために、途中でどういう例示や論拠が記述されているのか、を感じながら読むことができます。

そして、その本を購入したのは、タイトルに惹かれたとか、著者が気に入っているなどあるかもしれませんが、「こういう考えが載っているのではないか」という期待もあるでしょう。

目次をみて、そんな自分の考えに合うような、あるいは惹かれるような内容が感じられたら、そこから読み始め、前後に進めて行くのも良い手だと思います。

まあ、ときどきタイトルに惹かれて目次を眺めてみたら、思っていた内容と違っているようで買うのをやめる、ということもありますがね。

実際的な方法としては、主旨を支える論の文章部分に傍線を引く。その部分が数行にわたる場合は、文字列の上側にアーチを引く。これが基本になる。物書きや論にすぐれた人で、この方法をとらなかった人は皆無であろう。(P155)

私もこの本を読んだときには、傍線やアーチを引いていたのですが、その後は引かなくなりました。やはり、本を汚すのはなんとなくはばかられる気がして。

もちろん、著者も言うように、線を引いた方が読書の効果は上がるのかもしれません。でも、これは人それぞれでしょう。私はなんとなく、引きません。

でも、こんなこと言われると困りますね。でも私は今のところ「付箋」程度にしておきます。

そして、読み取りというこの働き自体が知恵と呼ばれてきたものだ。(P159)

知恵は、知識と知見の積み重ねから醸成されてくる。(P184)

そして、わたしたちが実際に何かを読み取るときは、先に述べた知恵の働きと今述べた全体との連関の両方を同時に使っている。

それを暗喩的に表現したのが「行間を読む」という言い回しなのだ。だから、行間を読めるかどうかは感性によるのではなく、さまざまなレベルでの知的理解によるのである。(P190)

本に書いてあることは、まず「知識」となります。それを自分の中に取り込んで、自分の記憶や経験、解釈を踏まえて、実践できるような下ごしらえをすると、「知恵」となります。

「知識」を貯め込むだけではなく、自分なりに解釈することが重要です。自分の仕事ではどのように当てはまるか、自分の考えと何が同じなのか、違うのか。

究極的には「誤読」も含めて、本を読んで得た「知識」をいかに自分のものにするかが、読書のポイントでしょう。

実際に書かれていること以外に、自分なりに本の記載からときには拡大解釈して、まさに「行間を読む」ことも、読書の醍醐味だと思います。

本を読んでいて、よくわからない、理解しにくいと感じる箇所の多くは、具体性に欠けている場所である。あるいは、想像のしにくい場所である。(P168)

私のこのブログの文章も、なんとなく抽象的なことばかり書いていて、フワフワして読みにくいなあと、自分でも感じることがあります。

もっと具体例を入れるべきですね。書く立場からも、心得ておくべきポイントだと思います。

自分の体験や仕事への当てはめなど具体例を入れれば、もう少しいいんでしょうが、なかなか難しい。修業します。

このことがあからさまに体験できるのが小説を読むときだ。よほどだらけた文章で書かれた小説でない限り、飛ばし読みやつまみ読みで十分に理解できるものではない。小説全体と、その内部の一文が呼応しあって固有の意味を生み出しているからだ。(P189)

細事にこだわることかな、と思います。一つ一つの記述、文章に、もっと神経を使って、繋がりを考えて、ある場面でパッときれいに繋がるような文章が書ければと思います。

いくつもの伏線となる内容があって、終盤でそれらが効いてくる。たしかにそういう話が小説やドラマには多いような気がします。

ダラダラと書き連ねるのではなく、一つ一つの文章が、伏線となって、後半では繋がってくる。たしかに面白い小説やドラマはそんな感じですね。

読み直すのは、主旨や内容を忘れるからではない。自分が変わるからだ。変わった自分が再読するから、その本はかつて読んだことがある本であるにもかかわらず、かつて読んだのと同じ本ではなくなる。(P209)

以前も書きましたが、私も再読することがあります。

最初に読んだ時には気づかなかったこと、なんでこんなところに付箋を貼ったんだと思うこと、あるいはなんでここに付箋を貼っていないんだと思うことがあります。

最初に読んだ時とは自分自身が違っていて、それでこそ気づくことなのでしょう。

*****

最初にも述べましたように、この本は私好みの読書術、あるいは読書に対する考え方がつまった一冊だと思います。

あなたの読書感にも通じるところがあるかもしれません。あるいは新たな発見があるかもしれません。

「深く」本を読みたい、と思われた方は、ぜひ読んでみてください。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。