大人のための自転車入門 丹羽隆志、中村博司 日経ビジネス人文庫
「日本にはまだまだ利用されていないエネルギー資源がたくさんある」と喝破したのは、『自転車ツーキニスト』の著者、疋田智氏だったと思います。
え? エネルギー資源って、日本には少ないんじゃないですか、と思いますよね。石油もほとんど出ないし、石炭も頼りないし。
その「資源」は、ほとんどの人がすぐにでも使用可能で、それを使えば日本のエネルギー問題などたちどころに解決してしまうといいます。
その「資源」は、けっして地下に埋蔵されているわけでもなく、あるいは天候や時間によって利用が左右されるものでもありません。
さて、何でしょう。・・・それは「脂肪」です。
さあ、みなさん。ご自身の皮下なり内蔵なりの「脂肪」を利用しましょう。ガソリン消費を減らし、排気ガスを減らし、同時にご自身の身体も最高の体調に導かれます。
・・・なんていう面白い話もありますが、自転車は環境や肉体的に良いのみならず、精神面でもさまざまなメリットにあふれた、すばらしい乗り物です。
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かく言う私も、そこそこ自転車歴はあります。
思えば基礎研究をさせていただいた時代、実験などの待ち時間に眺めていたウェブページがきっかけだったでしょうか。
なれそめは複雑ですが、とある廃道ブログにはまったことから、自転車の良さを感じ、様々な人が書かれている自転車ブログも読んでいました。
(モチロン、研究もしていましたよ)
通勤に自転車を導入し、さらにちょっといい自転車を買って、一帯の野山を駆け回ったのでした。近隣は山に囲まれたところに住んでいますので、良いコースはたくさんあります。
もともと子どものころから自転車に乗るのは好きでした。高校のときも、意味不明に15㎞以上の距離を自転車で通ったこともありました。
風を感じ、スピード感や風景を楽しむのと同時に、あくまで「独りの世界」に入ることができる点が、気に入っていたのではないかと思います。
自分の力だけで、ただ黙々と、たんたんと進んで行く、みたいな。
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この本は、このすばらしい自転車を生活に取り入れてみようという人にピッタリの本です。自転車の特長や注意、運転のしかたやメンテナンスなどについても、幅広く書かれています。
人間が行ってメリットしかない3つのことは運動、読書、瞑想と言われます。自転車は、運動になりますが、瞑想的な要素もあると思います。精神面でも良い効果が得られること間違いなしです。
4月から新生活が始まる人も、そうでもなく仕事と日常が続きそうな人も、これを機会に自転車を始めてみてはいかがでしょうか。
成人の健康維持に適した運動とは
1.マイペースでできる運動
2.一定時間(20分以上)継続できる運動
3.筋肉や関節に負担の少ない運動
4.勝敗を競わない運動
5.緊張感やストレスの少ない運動
適した運動:サイクリング、ウォーキング
注意が必要な運動:ジョギング、水泳、ゴルフ、ダンスなど
適さない運動:球技、格闘技など、筋肉、関節、ストレスの負担が大きいもの
(P25)
このように、自転車は成人の運動として最高です。マイペースで続ければ20分以上は持続可能でしょうし、ジョギングなどと違って足や膝などの負担も少ないのです。
さらに、自転車はウォーキングとは異なり、かなりの広範囲を移動することが可能です。知らないうちに結構遠くまで来てしまうものです。
熱中してくると、スピードに凝ってしまったり、坂登り(ヒルクライム)に凝ってしまったりして身体の負担や緊張感を感じることもあります。しかし、そうやって自身に課す負荷もまた、良いものです。
苦しいにしても、苦しい中でどのくらいがんばるか、続けるか、ちょっと休むかなど、基本的には自分との闘いであり、修業です。
自転車運動の特長
①他の運動に比べて安全である
②運動量が多い
③楽して高い効果が得られる
④マルチタスク運動である
⑤ライフスタイルに組み込みやすい
⑥気分転換に役立つ
⑦自転車スポーツは世界のメジャースポーツ
(P39-)
そして、自転車走行は意外と運動量が多いのです。マイペースで進めばきつくないので、長時間続けることが可能で、結構なカロリーを消費するようです。
多少の筋肉痛、疲労は出ますが、いつも感じます。長距離を走りまわって肉体的にドッと疲れると、「こういう疲れもたまには必要だよな」と。
なんだか日常の仕事は、精神的な疲れで身体の疲れも引っ張ってきているような気がしますからね。ときには思いっきり身体を疲れさせることも必要と思います。
④マルチタスク運動である、というのも、自転車の特長です。自転車は単なる運動ではありません。これについては、後で書きたいと思います。
⑥気分転換に役立つ、というよりも、自転車はひとつの「瞑想」だと思います。
「マインドフルネス」の考え方では、座ってじっとして呼吸に集中するのがメインですが、食べる、歩くなど、日常の行動にも意識をつけて行うことが大切です。
ジョギングなどもそうかと思いますが、自転車はまさに自身の呼吸や心拍、脚の回転、筋肉の張りや疲労にときどき気づきながら、ただただ運動を続けるのみです。これは一種の「瞑想」です。
サイクリングにおける「ランニングハイ」は、走り出して10~20分くらいして体が温まった頃にやってくる。路面からのかすかなショックが体を揺らし、風の中を走ってゆく。自転車と自分の体との一体感を感じる。なんとも言えない快感に包まれる。「この自転車とならどこまでも走っていけるだろう」と思える。その気持ちまた味わいたくて自転車に乗り続けるのだろう。(P64)
走り始めは手足も硬くて動きもぎこちなく、すぐに息も上がったりして苦しくなります。このままで、たとえば職場まで行くのか、と思うとイヤになります。
しかし、走っていると徐々に身体が変わってきます。道路ではちょっとした音や身体に伝わる振動から、自動車の接近や路面の凹凸を感じます。
静かな郊外や山中では、ただただ自身の呼吸音や体温、チェーンの精確な音だけが感じられ、意識がなかばトランス状態に陥ったような感じで走り続けます。
ただただ自分の体の中のエネルギーを効率よく使って前に進んでいる感じ、非常に燃費のいい状態に落ち着いて、どこまでも走っていけるような感覚が訪れます。
ここで止まったらこの感覚が失われるのではないか。ずっと走っていたくなります。
逆に考えれば、自転車に乗る行為は人間が本来もっている能力を活性化させる効果があるかもしれない。
自動車は鉄とガラスに囲まれ、自然から隔離された人工的な空間の中で運転する。一方、覆うもののない自転車は五感を総動員して乗るものだ。(P67)
自動車は鉄とガラスで外界とは遮蔽された中に入り、空間を移動するだけです。エアコンも効いています。バイクは外界をある程度感じますが、推進しているのはエンジンであり、身体はほとんど使っていません。
こういった自動推進装置付きの乗り物は、坂のきつさも、空気のヒンヤリ感も、向かい風の禍々しさも、それほど感じません。
一方、自転車は、身体むき出しに外界と接しながら、自分の力で空間を進んで行きます。ときには逆に自らの脚を“エンジン”と称し、意識とは切り離して無機的に回し続ける心境にも陥ります。
坂の勾配%を気にし、気温の変化を感じ、追い風の助力、向かい風に対する姿勢を考えるなど、まさにマルチタスクです。それを無意識にこなして、走っています。
無意識から不意に意識に登ってくることもある筋肉の張り、快い疲労感といった感覚、あるいはキツイ、気持ちいい、愉しいといった感情。
感覚のみならず、世界に対する運動でも働きかけ、その結果として生まれる感覚と感情をを自身の身体で感じるという、理想的な行動なのです。
それだからこそ、ちょっとした自然の色彩、水音、微風でさえも、感じながら進んで行くことができるのです。人間の五感をフル動員して進むのです。
まさに世界との一体感。これこそが、生きもの本来の生き方ではないでしょうか。
とくにヒトなんていう生きものは、テレビやパソコン、スマホなど映像・情報技術の発達によって、こういった生きもの本来の生き方から遠ざかっている気がしますよ。
では20㎞なり100㎞なりという距離は、どのくらいの長さなのか? サイクリングに親しんでいる人は、それを自分の体で知っている。体で知るということは、どのくらいの労力を使うのか、所要時間がどのくらいかかるのかを知っている、ということだ。(P190)
100㎞なら、家から山越えた海沿いの地方だなー。6時間あればいけるかなー。山越えだけど。と想像がつきます。
ある程度自転車に乗り続けていると、面白い感覚を抱くようになってきます。自動車で100kmというと、すごく遠いなあと感じるのですが、自転車で100kmというと、「まあ時間はかかるけど、時間をかければ行けなくもないな」と感じるのです(私だけかもしれませんが)。
そもそも、自転車走行という行為が、ダンス的なものなのかもしれません。『嫌われる勇気』でも、アドラーの考えとして「過程を大切にする行動」と、「結果を大切にする行動」が述べられていたと思います。
たとえば、登山するにしても、途中で景色を観たり、休憩したり、道端の花を見たりしながら登るから楽しいのであって、ヘリコプターで登頂しても面白くないでしょ、という話です。
自動車でも、「ドライブ」と称して、運転してブラブラして景色を楽しんだり、名所を訪れたりすることができます。
しかし自転車は、たとえそれが通勤・通学などを目的とした走行ではあっても、自分の力で移動していることが楽しく、また外界をフルに接触していることが、ちょっとした移動でも楽しい行程を産みだすのだと思います。
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なにはともあれ、これだけは言えます。「自転車に乗っていると、ビールもおいしい。食事もおいしい」。
いやー、自転車は良いモノです。でも、自転車というと、いわゆるママチャリのイメージしかない方もいらっしゃるかもしれません。
いわゆるスポーツ自転車といった感じの“クロスバイク”、“マウンテンバイク”、そして“ロードバイク”は別次元の乗り物です。
自転車については、今回紹介したような本の他にも、雑誌やいわゆるmookなどいろいろな本が出ていますので、眺めてみてください。
そしてこの本を読むとともに、実際に自転車生活を開始し、人生のギア(歯車)を少しシフトしてみてはいかがでしょうか。