「人間」は他者とのつながりによって作られるものだから

広く弱くつながって生きる 佐々木俊尚 幻冬舎新書

人間関係において、とくに東日本大震災後は「絆」が強調されます。家族の絆、地域の絆、職場の絆、などなど。

「絆(きずな)」という言葉は、ポジティブな感じがしますが、「絆す(ほだす)」と読むと、「情に絆される」などとちょっとネガティブなものになってしまいます。

たしかに家族や職場で絆は大切です。しかし、それだけではなく、もっと広い、浅い、弱いつながりも、今後必要なのではないか、というのが、「弱いつながり」という考えです。

「弱いつながり」とは、「浅く、広く、弱く」つながった関係です。

著者は、「強いつながり」に支配される新聞記者時代、リーマンショックや東日本大震災を経験しました。それをきっかけに「弱いつながり」を大切にする生き方に転向し、良い方向に変わったようです。

会社や家族などの組織に特有の「強いつながり」は、意外と融通がきかず、面倒なことも多いものです。ヒエラルキーや人間関係の悩みも発生します。

そういった「強いつながり」も必要な場面もありますが、それとは別に「弱いつながり」も持っていてはどうか、という提案です。

とはいえ、おいそれと現在自分が位置する職場や家庭といった「強いつながり」を放棄するわけにはいきませんが、それらと並行して「弱いつながり」を持っておくのです。

そうすると、意外と自分の人生に彩りを与えてくれたり、「強いつながり」の中の仕事にも良い影響を与えてくれたりするようです。

芋づる式の人間関係。趣味や遊び。年齢や所属、ヒエラルキーにこだわらない。これらが、「弱いつながり」の特徴のようです。

つまり、仕事はしながら(場合によっては止めてもいいですが)、趣味のサークルに参加してみたり、遊び仲間や飲み仲間など、仕事以外の人間関係を作ってみたりすることでしょう。

人間には相対する場面に応じて様々な面を見せる能力があります。「ペルソナ」と呼ばれたり、「分人」と呼ばれたりしているものがそうでしょう。

仕事や家庭ひとすじもいいですが、様々な活動を通して自分のまた違った一面を自覚することも、自己肯定感の足しになるのかもしれませんね。

著者は他にも様々な本を出版していますが、『家めしこそ、最高のごちそうである。』という本もお薦めです。なんだか料理不精な自分でも、どんどん作ってみたくなる本です(・・・あまり作っていませんが)。

しかし、最近考えるようになったのですが、じつは個という存在はさほどのものではなく、すべては相互作用(多様な価値観の接触)からうまれるものなのではないでしょうか。他者との関係性の中で個のパーソナリティは決まるものであり、生来的な個の要素は大きな意味を持たないということです。

(P88)

生来的な自分らしい「個性」というものは幻想であり、自分の「個性」、はたまた「自分らしさ」でさえも他者との相互作用によって生み出されるものです。

人間は常に他社との相互作用の中で生きています。生まれてしばらくは母親や父親、家族との関係から生きるすべを学び、幼稚園や小学校では学問はもちろん、人間関係とともに徐々に「自分」というものを形作っていくのではないでしょうか。

ときには周囲に合わせたり、ときには周囲に抗ったりして。うまくいったり、うまくいかなくてへこんだりして。

そうやって、徐々に「自分」というものを作っていくのだと思います。社会に出てからは、様々な用意した、あるいは即興の「分人」を駆使して、そして「分人」を成長させていきながら、過ごしていくのでしょう。

そういった意味でも、一本道の人生を歩むよりも、様々な他者との相互作用を起こしながら生きていく方が、「自分」も彩り豊かになるのだと思います。

著者も書いていますが、いわゆる「自分探し」というものも、旅などに出てこれまでの固着した人間関係ではない様々な人間と相互作用を起こして、また違った「自分」を作る過程なのだと思います。

たとえば、成功した人の本を読むと、「かくかくしかじかで成功した」といった物語や人生訓がドラマティックに書いてあります。しかし、じつと言うとそれは後づけで、実際には偶然の作用が大きいのです。企業のタイミングや、重要な場面で支援者が現れたなどの偶然性、あるいは幸運が重なっただけであることが少なくありません。

(P185)

(成功した人ではありませんが)私も、学生などに、よく「どうやって今の専門科(内科や外科など)を決めたのですか」と聞かれると、これこれこういうことがあって、こう考えて、などと説明するものです。

しかし、当時学生であった私が、その時そんな風に考えて確乎たる気持ちで決めたかどうかは怪しいところです。

いや、実際は不安もあり、大丈夫かなあなどと思いながら進んでいたでしょう。でも、どんな場面もそうやって進んできてみると、振り返るとああだった、こうだった、と物語るわけです。

この辺は寝ているときに見た「夢」を起きてから話すのと似ているのかもしれません。夢の内容なんて、脈絡のない断片がぼんぼんと見えているだけでしょうが、起きてから「こういう話だった」と、うまくつなげて物語るわけです。

どうしても、因果関係を求めてしまいがちです。そして、そういう物語をする先輩につられて、学生たちもそういう確乎たる動機やきっかけがないと決められないと思ってしまいがちです。

そして、いつかきっと確乎たる動機やきっかけに巡り会うんだ、などと勘違いして、えんえんと実習や研修でウインドウショッピングをしてしまうのです。

これは、進学先選びや就職にもあてはまると思います。

あまり、そんなことはないと思います。せいぜい大切にすべきは自分の興味や、直感なのではないでしょうか。あるいは尊敬できる先輩がいるとか。

それはともかく、成功のきっかけとしては、偶然の作用が大きいものです。

だから、その偶然の作用を最大限に集める方策として、「弱いつながり」を広くもつことが、良いのだと思います。

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仕事ひとすじに邁進することもときには必要ですが、仕事以外の自分の興味や趣味、遊びでつながる人間関係を持っておくのも、いいのではないかと思いました。

著者はそういった上下関係や見返りを考えず、趣味や好きなことで付き合っていける人間関係を「友だち」と呼んでいます。

さいわい私には、読書やお酒については「友だち」と呼べる人間関係があると思います(一方的にそう思っているだけかもしれませんが)。

仕事や、そういった人間関係も大切にしつつ、さらに趣味や好きなことで「弱いつながり」を広めていければ。そして、自分という「人間」を豊かなものにできればと思いました。

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