人間にとって数学とはどういうものか

2020年6月26日

論理ガール 深沢真太郎 実務教育出版

私は数学が嫌いでした。よく計算(ほとんど算数の域ですが)でケアレスミスしていました。それで嫌いになったのではないかと回顧しています。

「注意が足りないから“ケアレス”ミスなのだから、注意すればいいじゃん」、と過去の自分に云って聞かせたいくらいですが、計算なんかよりもっと楽しいことがあったのでしょう。

しかし、学校で習ったことの大切さ、意味を、後になって感じることは多いと思います。医学の勉強でも高校で勉強した生物学はもちろん、化学なんかの知識もときどき役にたちます。国語も社会科も。

数学についてもそうだろうと思います。もちろん、計算のコツや関数など、医学や日々の生活に直接的に役立つことも多いです。

また、実際に学生のように試験に追われてイヤイヤ勉強する身から離れて数学を「眺める」のも、面白いものです。三角関数や微分積分、虚数なども、以前も少し紹介しましたが、傍から気楽に勉強すると、面白いものですよ。

でも、数学の力というのは、それだけではないと思います。

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数学は、「考えるための道具」のようなものかもしれません。数学の考え方を身に付けていれば、人生の様々な問題、たとえば人間関係、仕事や恋といったものを考える時に、考える上での骨組みのようなものが与えれるのかもしれません。

人生では、そういった「得体のしれない相手」に次々と遭遇します。そういうものに対峙するには、「とっかかり」「問い」を創り出すことが大切です。

これは、このブログでも何度も言ってきたかもしれません。しかし、その「とっかかり」や「問い」をどのように作るかというのが、実際は難しいのです。

そのためにはどうすればいいのか。「経験を積むことだよ」などと、学生たちにも適当なことを言ってきた気がします。

こういった中で数学の考え方は、ちょっとした考え方のコツを与えてくれるのではないでしょうか。つまり、「論理」という思考の枠組みを与えてくれる。

少なくとも、なにも手掛かりがなくやみくもに思索をめぐらすよりは、効果的に考えることができるのではないか、と思いました。

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今回ご紹介する本は、そんな数学の「論理的な考え方」について、そしてそれを人生のさまざまな出来事にどう生かすかについて、大変面白く勉強させてくれる本です。

物語は28歳のホテルマンと女子高生の対話で構成されています。自分の仕事哲学をもっているビジネスパーソンと数学オタクの女子高生です。

その対話の中では、仕事や恋愛といった人生の様々な問題について数学の考え方を応用して論理が展開され、まさに「納得」できるストーリーになっています。

タイトルもさながら秀麗なカバーイラストなどからは、ちょっとオタク系の本かと思ってしまいますが(ある意味そうですが)、臆することなく手に取って読んでみてください。

「数学ってこういうものだったんだ!」と、ちょっと数学に対する見方が変わると思います。

①くっつける、②分ける、③逆にする、④ずらす

(P181)

数学では、①の“くっつける”については、三角形の内角の和が180度であることを証明するときに、「補助線」を三角形に“くっつける”ことが役に立つという話がでます。

医療においても、たとえば触診なども、患者さんに自分の手を“くっつける”ことにより、自分の感覚を活かして患者さんに何が起きているか情報を取り入れることができると思います。

体温や皮膚の乾湿、脈などはもちろん、熟練すれば「なにか違う」という直観的なものも読み取ることができるでしょう。

②の“分ける”は円の面積を考えるうえで、円を細かく分けて組み直すと長方形の面積を求めることに似てくる話が出ています。

一見どう扱っていいのか分からない認知機能といったものも、長谷川式簡易認知機能スケール(HDS-R)のように具体的な項目(場所や日付の認識、記憶力など)に“分ける”ことによって、浮き彫りにできるところと似ているかもしれません。

③の“逆にする”については、等差数列の和の求め方が述べられています。1から100までをすべて足すと? なども真面目に足していくとそれこそ「ケアレスミス」がおきますが、考え方を工夫すると簡単です。

我々も常に、患者さんの立場になったら、家族の気持ちになったらという“逆の立場”を考えながら、医療を行う必要があります。“逆にする“という考え方が大切です。

④の“ずらす”については、等比数列の和の求め方が述べられています。等比級数は1, 2, 4, 8, 16, ・・・というように、一定の倍で増えていく数列です。

こんなものの和をどうやってもとめたらいいのか、とイヤになってしまいます。結局は公式がありますが、その導き方を見直してみると、「納得」できるものです。

視点を”ずらす”ということも、時には重要です。狭い範囲の考えで見ていた問題を、視点をずらしてメタな位置から見ることによって客観的に考えることができます。

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このように、あることをすると見方が変わったり、思わぬ解決策が見えてくることがあるのが、数学的な考え方の一つの特徴です。

そこで感じる「あっ、なるほど!」という驚きというか感動も、日常生活では得難いものであり、そういった機会が得られるのも数学の良い点かと思います。

数学の世界での使い方とは異なるかもしれませんが、こういった「考え方」を実世界に導入するための「道具」(たとえばここで述べた①~④など)を提供してくれるのも、数学なのです。

人間が人間である中心にあるものは、科学性でもなければ論理性でもなく、理性でもない。情緒である。

(P216)

岡潔の言葉です。岡潔は我が国の偉大な数学者の一人ですが、非常に「情緒」というものを大事にしたことで知られています。

この引用ではじまる「第5問(この本でいう第5章でしょう)」では、「恋愛」についての対話が展開されます。

なんとか確率論を用いた数学モデルで恋愛を説いていこうという話ですが、そこにはどうしても「ときめき」といった情緒的な代物が出現してしまいます。

仕事においても、「ときめき」とまではいかなくても、お客さんや患者さんに対する「思い入れ」や上司、後輩、同僚に対する配慮など、なんとも数値化・論理化しにくいものがあると思います。

そういった、数学論理的な骨組みのまわりにやわらかく付着するしなやかな「情緒」のようなものが、我々の生活や仕事、そして人生を彩っているのではないでしょうか。

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この本は、二人の対話を読者が追っていくことによって、読者も「仕事」や「恋愛」などといった人生の諸問題を数学的モデルで考え、「納得」していくということができる作りになっています。

これはもう、こういった書評で説明できるものではなく、ぜひ読んでもらうしかありません。

数学というしっかりした「足場」があることにより、恋愛のときめきや不確定な世の中の面白さなどが際立ち、より人生を深く味わい、情緒に富んだ生き方ができるのかもしれないと感じました。

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