鉱物と人間の深いつながり

鉱物 人と文化をめぐる物語 堀秀道 ちくま学芸文庫

私は、石は好きなほうです。子供のころは化石に興味がありましたし、河原などできれいな石を探すのも好きでした。

今回ご紹介する本の著者である堀秀道先生の編集された鉱物図録も、目にしたことがありました。今回その著者によるエッセイ集を見つけたので、ふと買ってみたのでした。

この本は、鉱物学者である著者が、70年の研究歴の間に経験したこと、考えたことのエッセイ集となっています。ボリュームのある本ですが、読みやすく分かりやすい文章であり、スイスイと読み進めることができます。

特に、単なる鉱物図鑑や解説書とは異なり、著者の石に対する深い愛、石の魅力、それらにまつわる人物や歴史の物語が描かれています。

著者の鉱物学の学識はもとより、石と人間やその文化への結び付けが優れており、一つの人間文化論としても楽しめます。

「得体のしれないもの」を扱うときには、「切り口」が重要です。この本はまさに、「人間という得体のしれないもの」を、「石という切り口」で鋭く切った一冊です。

石や鉱物、宝石に興味のある方はもちろん、あまり興味のない方でも、面白く読むことができます。

ドイツの建物、街並み、風景、人々の気質、言葉からえられる感じ、ドイツの鉱物の感じ、この両者はたしかに似ている。フランス、スイス、北欧しかりである。最初は筆者の思いすごしと考えていたが、何回も訪欧し、世界の石を多く見るにつけて、ますます、これを単に気のせいとして笑って片付けられることができない、と思うようになってきた。やはり、永い歴史のなかで、人と石とが干渉しあった結果なのであろう。

(P122)

ある土地の「風土」によって、その土地に住む人間の「身体」や「精神」は変わってくるのではないかと思います。

和辻哲郎の『風土』も、まさにそんなことを述べていたと思います。その土地その土地の環境によって、そこに住む人の考え方や生活が影響され、形成されると。

過酷な砂漠地帯の風土が、直線的な人生観や一神教を生み出し、雨季や乾季、あるいは四季のあるような風土では、循環的な人生観や多くのものに神が存在する多神教が生まれます。

そもそも、石は土となり大地を作ります。大地は植物を育て、家畜を育み、そこに住む人に食物を与えます。また、道具や住居の素材を与えます。

身体は食べたものでできているわけですから、食物のおおもとである大地、あるいは石たちの身体に対する影響は、確実にあるのではないでしょうか。また、道具の違いによる文化や文明の進歩、覇権(とくに鉄など)などに与えた影響は大きいでしょう。

そういったことが、ドイツならドイツの、日本なら日本の風土はもちろん、文化や風俗・風習、人間性といったものを作り上げてきた要素の一端なのだと思います。

その土地に住む人々によって代々受け継がれる中で少しずつ形成されたものであり、「永い歴史のなかで、人と石とが干渉しあった結果」なのでしょう。

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海外に比べて、日本では石を趣味とする人は少ないそうです。単純にきれいな石だからとか、思い出の場所で拾った石だからでもいいですから、ちょっと気に入った石を持ったり、どんな石か調べてみたりするのも良いのではないかと思います。

趣味とはしないまでも、日本文化における石の重要性は様々なところで感じられます。庭石の大きさや形、配置であるとか、石庭など。

そういえば森信三先生も、趣味として石を集めておられたようです。その晩年には、こうおっしゃっていたそうです。

「私の没後、この実践人の家を訪ねて、『森とは一体どんな人間だったか』と尋ねる人があったら、『西洋哲学を学んだがもうひとつピッタリせず、ついに[全一学]に到達して初めて安定したが、それ以外には唯、石が好きだった』と仰って下さい。」

パワーストーンと呼ばれる「パワー」の期待される石もあるようです。水晶なども昔からそのように使われてきました。

そうではなくとも、ちょっと部屋に小ぎれいな石を一つ置いておくだけでも、気持ちが落ち着くようなことがあるかもしれません。

なにしろ相手は、私たちよりはるかに永く、何億年も存在してきたのですから。

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