先日に引き続き「本の選び方」について、私の個人的な考えを少し述べさせていただきます。
とはいえ、自分でも「いつもこの基準で選んでいる」などというものでもありません。考えてみるとこんな感じかなという程度です。
1.テーマ
自分の興味のあること、好きなこと、趣味、思想などです。たいていの書店はこういったテーマごとにコーナーが作られており一つのテーマでも様々な角度、切り口からみた本が並べられています。
たとえば「電車」であれば、「車両の仕組み」「設備」「運行形態」「歴史」「路線」「運転士や車掌の仕事」「電車図鑑」「エッセイ」「廃線探訪」・・・といった具合に、さまざまあります。
文庫や新書は、出版社によってコーナーが分けられていることが多いようです。
書店の中には文庫は著者によって、新書はテーマによって分けられているところもあります(うちの近辺ではT書店)。
新書はこの世界の(ときには物語世界や別世界の)ほとんどすべてのテーマを網羅しており、様々な出版社から「~新書」として出されております。
大きさもいわゆる“新書サイズ”のハンディなものであり、カバンに何冊も入れておけます。
新書コーナーを端から端までじーっとゆっくり眺めていると、ハッとするタイトルが見つかるかもしれません。
2.タイトル
自分もブログのタイトルを考えるのに、時間がかかることがあります。どうすれば読んでみようと思っていただけるかと。
書籍のタイトルも同様だと思います。その本の内容が分かりやすく、かつ魅力的なものであることが必要です。
タイトルはたいて名詞のことが多いですが、最近は文章の体現止めというか、修飾語を多くつけた名詞のものが多い気がします。
また、翻訳だからかもしれませんが、カタカナ英語のタイトルも多い気がします。スタイリッシュでちょっと聞きなれない単語だと、少し覗いてみようという気も起こるのかもしれません。
3.著者
著者が同じであれば、内容が異なっていてもその根底に流れる思想や考え方は同じです。同じ著者の本をいくつも読むことは、その著者の思想を様々な切り口からみて深めることができます。
まあ、そう難しいことは考えずに、気に入った著者とその考え方に巡り会ったら、2,3冊読んでみるといいと思います。
そういえば、たとえば新書コーナーでタイトルを横並びに眺めていっても、ピンとくることはまれですが、著者名を横並びに眺めていくと、知っている名前が見つかります。
これは考えてみれば当たり前であり、タイトルは新出のものがほとんどですが、著者名には以前にその著作を読んだ、あるいは目にした名前があるからです。
こういった具合で、著者名をたよりに自分に合いそうな本を探すのも、いいかと思います。
4.出版社
出版社により、どういった内容の本がそろっているかということはあると思います。出版社自体の思想がそのシリーズに反映されていることもあるでしょう。
ビジネス書、自己啓発書が多かったり、中国古典や日本の思想をもとにした出版が多かったりと。
また、新書や文庫など定型的な書籍では、字体や字の大きさなどもある程度似ていることがあります。それにより読みやすい、難しいということもあるかもしれません。
5.いもづる式
これが、最も良い本の選び方かと思います。ある本を読んでいて、その中で引用、あるいは紹介された本を、次に読んでみようということです。
自分が興味をもって読んでいた本からの派生ですから、たいていすんなりと読み移ることができます。
また、ある本で否定的なことが書いてあり、「実際どうなんだろう?」とその否定された思想なり本にあたることも面白いものです。
たとえば、ニーチェの本を読んでいて、あまりにもキリスト教を批判するので、じゃあ今度はキリスト教の本を読んでみよう、など。
あるいは、いちど抽象度を上げてから考えるのも良いでしょう。仏教に興味をもったら、宗教関連でキリスト教を考えたり、キリスト教から歴史関連で世界史を考えたりと。
6.薦められて
誰かに勧められたり、ベストセラーやレビューを見て読んでみたりということもあるでしょう。
ただ、私は基本的に、読書というものは各人の好みや興味に応じてするものだと思っています。なので、あまり人に本を薦めてもらったり、逆に薦めたりすることは少ないです。
しかし、相手にもよると思います。自分が読んでいて、「これはアイツの考え方にも合っていそうだから薦めてみよう」であるとか、話をしていて何か話題が出た時に「そういう話についてはこの本を読むといいよ」ということはあります。
私も人にお薦めを聞いたり、ベストセラーを読もうとしたりレビューを見て買うか買わないか決めたりは、あまりしませんが、自分と考え方の合う人から薦められたら、読んでみようと思うものです。
ま、それも自分と意見の合う本や人を選んでしまう迎合主義とでもいいますか、小林秀雄の言うところの鑑賞における問題なのかもしれませんが。
己を虚しくして出来るだけ広い鑑賞の世界に遊ぶ様に努める一方、どんなつまらぬ対象に対した時でも自分の心を賭する覚悟を失わなければ、立派な鑑賞家と言えると思います。
(小林秀雄『読書について』 P42)