自分をいかして生きる 西村佳哲 ちくま文庫
ときどき、気持ちのいい仕事、心がこもっていると感じられる仕事に出会うことがある。
高校生のとき、自転車のパンクを修理してもらおうと立ち寄った自転車屋で、そういうことがあった。
慣れた手つきでパンクの修理をしてくれたのはもちろん、空気圧の調整やパンクしていないほうのタイヤの点検、さらに車体フレームやブレーキなどについても、押したり触ったりして一通り簡単に点検をしてくれた。かといって料金は他の自転車屋と変わらない。
手際のよい慣れた手つきに感心したことも間違いないが、自分の自転車を全体的に念入りに見てくれたような気がして、「これこそプロの仕事だなー」「自分もこういった感じに仕事ができるようになれたらいいな」と高校生ながらに感じた覚えがある。
また、乗用車を運転するようになると、ガソリンスタンドを利用する。以前は今でいいうところのフルサービスが多く、給油中に窓などを拭いてもらったり、社内のゴミを気にかけてもらったりしていた。
窓などを拭いてもらっていると、自分の身体がケアされ、きれいにされているようで、少し気分のいいものだった。
自転車にしても、乗用車にしても、慣れてくると自分の感覚がタイヤの表面や車体の角にいきわたって、自分の身体の一部のように感じられる。縁石をよけたり車間距離を保つのが感覚でできるようになる。使い慣れた道具の特徴である。
そんな道具を大切にしてくれる仕事からは、温泉やマッサージのように自分の身体を癒してくれるような心地よさを感じることがある。
人を相手にする仕事をするにあたっては(まあ、どんな仕事も直接的・間接的には人を相手にするものだろうが)、このような仕事ができるようになりたいものである。
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さて、今回ご紹介する本は、「働き方研究家」の西村佳哲氏の一冊である。西村氏はつくる/教える/書くの三種類の仕事を手掛けておられ、モノづくり、教育、そしてこういった著書の執筆をなさっている。
他にはこの本との三部作として、『自分の仕事をつくる』『かかわり方のまなび方』などがある。
デザイン、モノづくりの仕事場、職人たちの取材に基づき「自分をいかした“いい仕事”」とはどのようなものかを、感じさせてくれる内容である。
仕事を始め、あるいは部署が変わり、そろそろマニュアルという滑走路から飛び立とうとしている方、あるいは世情から思うように仕事ができず、自分の仕事とはなんだろうとフト考えている方、ぜひ読んでいただきたい一冊である。
さて、仕事とはこの山全体なのだと思う。モノであれサービスであれ、わたしたちが受け取っているのは上の成果だけでなく、この丸ごと全部なんじゃないか。どんな成果にもそれを成り立たせているプロセスや下部構造が必ずあって、人はその全体を感じ取っている安いとか便利といった理由で行われる買い物がすべてじゃない。買い物は時に、つくり手に向けた共感や敬意の表明でもある。それらに「消費」という言葉は、本当に似合わない。
(P23)
成果として見えている「仕事」の下部構造として、技術や知識、考え方や価値観、そして根柢にその仕事をする人のあり方や存在があるという。
商品には値段(お金)がつく。商品は等価交換と言うことで、見合った値段でお金と交換される。しかし、その値段は本当に商品と等価というわけではないだろう。そこには「意味」が込められている。
社会学の教科書でよく例示されるように、コーヒー1杯にも生産や加工、輸入など世界中の人々の関与がある。コンビニで売っているコーヒーでも缶コーヒーでも、コーヒー豆を作っているのは、大部分は外国である。
また、喫茶店に行けば、店主のコーヒーへのこだわりや、コーヒーを選ぶ、淹れる技術は、まさに職人魂、職人技というものである。また、店のコンセプト、「場」の作り方、雰囲気にもこだわりがあるだろう。
缶コーヒーと喫茶店のコーヒーは、成分的にはそれほど違わないのかもしれないが、上に述べたような要素も含まれ、味も得られる安らぎもかなり異なると思う。
喫茶店のコーヒーの値段には、そういった職人魂や職人技が込められており、それを考えるとたいていの場合安いくらいだと思う。
一流ホテルの宿泊費なども、設備の維持費なども勘案して計算はしてあるだろうが、同様だろう。
仕事をする側としては、場合にもよるが顧客あるいは医療食であれば患者さんに、「気持ち良く」過ごしてもらえる仕事を目指したい。
そして利用する側も、単にサービスや商品を消費するなんていうさびしい考えではなく、その下部構造として裏にかくれた、つくり手やその他の人々に対する敬意をもって、利用させていただくと考えたい。
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こういった「仕事」の教育は、どのように可能であろうか。仕事の教え方には二通りあるだろう。
まず、「仕事の全体」を系統的に伝える方法である。仕事の技術はもちろん、ある程度「考え方」「心がけ」のようなものも、口伝や文章で伝えることができる。
もう一つは、師を常に見て、師の技術を「盗む」のである。とくに「心がけ」や「姿勢」といったものは、この方法でしか教えようがない、学びようがない部分もあるだろう。「経験知」や「暗黙知」と言われるものである。
学校教育や新人指導などのマニュアルは、前者の内容がほとんどである。しかし必要なことである。順序としては教科書やマニュアルで仕事の全体をおおまかに、必要最低限のことはできるようにする。
そうすればあとは、師がそれをどうように仕事として実行しているのか、その仕事をするときはどう考えているのか、どのような姿勢でやっているのか、を「盗む」ことができるのではないか。
「仕事」の表面上の成果を自分も表すことができるように技術や知識を身につけるだけでなく、その奥の考え方や価値観、さらにはあり方も感じとり、自分なりに身に付けられれば上出来だと思う。
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最近、新型コロナウイルス感染症の影響により、講義もバーチャルになっている。学生実習も、当面はバーチャルで対話形式で進められる予定である。
しかし、それ以前からOJT(On the job training)といった現場でのトレーニングはほとんど不要であり、ネットを利用したバーチャル講義、対話や指導などでも教育可能という流れもある。
とは言っても、とくに手仕事、技術系の職業や人を直接相手にする職業の場合は、道具の使い方や人と接する機微など、実際に師をみて学ぶ点が多く、OJTも必要だと思う。
私も、学生や職場関係者に対する教育もそうだが、徐々に後輩や部下に教育をする機会が多くなってきている。自分の研鑽を積むこともまだまだ必要であり、すぐれた指導者には程遠いのではあるが。ときにはカッコイイフリをしているように見えるだけかもしれない。
しかし、ここで述べられたように表面に現れた「仕事」の奥に広く深い見えない仕事があり、その下部構造によって「仕事」は輝いているということも、伝えていけたらと思う。