修身教授録 森信三 致知出版社
森信三先生は明治29年に愛知県に生まれ、京都大学哲学科で西田幾多郎に教えを受けました。私の尊敬する哲学者であり教育者でもあります。
先生の著作は数多く、全集も出されています。その一つとして、『人生論としての読書論』を以前ご紹介しました。そのほかにも随所でその言葉を引用しているかと思います。
この『修身教授録』は、その後に大阪の天王寺師範学校の講師となったときの「修身科」の講義を口述記録した講義記録の一部です。森信三先生の代表著作の一つといってもいいでしょう。
修身科の講義において、当時の既成の教科書は内容的にも偏りがあったため、先生はその教科書ではなく自らの考え、思想を教授することで講義としました。
その内容は先生ご自身の思想に加えて、日本古来のみならず海外の思想家、哲学者の考え、宗教家の教え、あるいは俳句、短歌などの文芸作品も交えて進められています。
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先生は、ご自身の独自の哲学として「全一学」を提唱しました。これは、洋の東西を問わない文化や哲学・思想の融合による、人間全体に普遍的な哲学といえるでしょう。
そういった壮大な学を建てる一方で目は足もとにもしっかり見据えられており、どんなたいそうな哲学を考えるにしてもまずは目の前の仕事、雑事からという考えが爽快です。
本書は大部であり、私も付箋を何十枚とつけていますが、森信三先生の思想は他の記載でも随時引用していますし、今後もそうするつもりですので、その中でも厳選した部分とともに、ご紹介します。
本書の「推薦の言葉」で小島直記氏は述べています。
“七十代のはじめに、この書物で心を洗われた幸せを思う。生きるための原理原則を考え直し、晩年にそなえるために、これ以上の出会いはなかった”
新年度に変わり、新しい環境、職場、人間関係の中での生活を始める方も多いと思います。また、どんな年代の方であっても、年度の変わりに加えて揺れ動く現在の世の情勢のなかで、生き方を再考する時期かもしれません。
今後の人生、しっかり地に足のついた生活を送るためにも、この本を読んで生き方の方向を少し変えてみませんか。
たとえばここに、様々な鉱石の層よりなる大きな絶壁があるとして、そしてその絶壁は、上へいくほどよい鉱石があるとしてみましょう。
・・・一段でも上の梯子へ登ろうとするのは、一段でも上へ登れば、そこにそれだけよい鉱石がある以上、一応もっとも千万と言えましょう。しかしながら、ここに一つ見逃してならない大事なことがあると思うのです。
それは何かというに、ただ梯子段を上へ登ることばかり考えて、どこか一カ所にとどまって、鉱脈に掘り込むことを忘れてはならぬということでしょう。
もし梯子段を上へ登ることばかり考えて、そのどこかに踏みとどまって鉱石を掘ることに着手しない限り、一番上の段階まで登って、たとえそれが金鉱のある場所だとしても、その人は一塊の金鉱すらわが手には入らないわけです。
(P97)
昇進やキャリアアップは、職業をする上での一つの目標となります。
実際に能力が認められて昇進するわけであり、また技能や資格を身につけてのキャリアアップですから、そういった指標で自分の成長を目に見ることができるわけです。
しかし、より上を目指して、そういうことを考えるだけの仕事をするであるとか、より多くの資格を身につけて、多くの技能が可能になるということは、いかがでしょうか。
もちろん、様々な局面で役にたつ人材になることは間違いありません。しかし、仕事が複雑化、細分化された今の時代は一人ですべての仕事をこなすわけではなく、ある程度分業が必要であり、望ましいと考えられます。
キャリアアップを目指す生き方は、大学入試にも見える気がします。より高いレベルの大学に入学することにより、その後の人生もより高いレベルの職業、生き方を続けることができるのではないか、と。
森信三先生はこういった話を鉱山と梯子段にたとえているのではないでしょうか。
つまり、鉱山の上の方に行けば行くほど金など貴重な鉱石があるらしいので、人々はより上へ上へと掘り込む場所を探し求めて登っていく。
しかし、人生は限られています。鉱山を登ことだけに時間を費やして、掘り込むことをせずに一生が終わってしまうこともあります。
そうならないように、実直に考えると、ある程度登るのはいいとして、もちろんもう少し登ればもっといいものが埋まっているのかもしれませんが、「えいっ」と自分の居場所を決めて、掘り込むわけです。
これは、就学先や就職先を考えることにも似ています。また、医学生が卒業後に就業する「専門科(内科や外科、眼科など)」を決めるのにも、似ている気がします。
あの科もやりがいがありそう、魅力がある、などと引かれる点はあるでしょうし、自分の興味や性格なども考えるわけです。
しかし、探し求めればいつか間違いないと思える理想の科や職業、つまり「掘り込む場所」に遭遇することはまれであり、ある程度「ここだっ」と決めて、掘り込むことです。
“置かれた場所で咲きなさい“という言葉もあります。より良好な環境を求めて、種のまま、あるいはつぼみのままさまようよりも、一カ所に身の置きどころを定めて、そこで十分に値を張る。そして美しい花を咲かせる。
そういった生き方も、一つだと思います。
そもそも人間の偉さというものは、大体二つの要素から成り立つと思うのです。すなわち一つは、豊富にして偉大な情熱であり、次には、かかる豊富にして偉大な情熱を、徹頭徹尾浄化せずんば已まぬという根本的な意志力であります。
(P336)
世の中を生きていくと、我々はさまざまな勉強をしたり出来事に出くわしたりします。そして、その都度さまざまな知識や経験を得ていきます。
しかし、そういって得られた知識や経験は、それぞれ知恵や体験に昇華させなければその後の生き方に活かすことができません。
情熱は知識や経験を知恵や体験として、その後の人生に活かす原動力だと思います。
たとえば、ある患者さんを担当したとします。客観的に検査値や画像だけで患者さんの病気に対応することは、それでもなんとかなるかもしれません。しかし患者さんの症状や訴えと検査値、画像の対応関係が無味乾燥な知識として蓄積されるだけだと思います。
そうではなく、もし「その患者さんを良くするのは、オレしかいない!」などと(ちょっと極端ですが)情熱をもって患者さんに接したならば、検査値や画像もその患者さん全体の記憶(あるいは思い出)と結びついて、生きた知恵や体験として残るでしょう。
あと、情熱は自ら持ち合わせなくても、発生させなくても、自然に生じることが多いと思います。
そのコツ(プラクティカルな言い方でイヤですが)は、よく患者さんと接し、実際に患者さんの診療を進めていくには関連しない(ように思える)ささいなことでも聴くような姿勢で話を聞くことです。
患者さんもこちらに対して、話を聞いてもらったという安心感、信頼感が生じるかもしれませんが、こちらとしても、その患者さんに対する思い入れが生じます(こういう客観的な言い方、どうにかならないんですかねー)。
こういった「思い入れ」こそ、これまで様々な先人が言っていた「人間心理の洞察(森信三)」であるとか「他者への創造力」、あるいは「人を思う心」であり、知識を知恵に昇華する調味料の一つとなるわけです。
さて、その情熱も、浄化されなければ真の人格形成とならないということです。なんでもかんでも情熱をもってあたるのも、大事なことだとは思いますが、燃え尽きには気をつける必要があります。
そのときの状況に応じて、周囲の状況をみて、重要なところに集中するといった気持ちでいいのではないでしょうか。
情熱の品質を高める必要もあります。これは、教訓に富む中国古典やそれをもとにした日本の思想、あるいは西洋の哲学思想を勉強することが、良いのではないかと思います。
・・・現在の時分にとって、一見いかにためにならないように見える事柄が起っても、それは必ずや神が私にとって、それを絶対に必要と思召されるが故に、かくは与え給うたのであると信ずるのであります。
(P434)
人生で起きることは、すべて自分のためになることであり、ためになるために起きている、という考え方は、この生きにくい世の中を生きている秘訣だと思います。
実際には、本当に全く自分のためにならないことも起きることも、あるかもしれません。
でも、たとえそういうことが起っても、「ためにならない」と考えて捉えるよりは、(間違っていたとしても)「ためになるんだ」と考えた方が建設的です。心の健康にも良いでしょう。
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森信三先生は教育に力を入れる一方、洋の東西を問わず幅広く哲学、思想を勉強され、ご自身のなかでまとめ上げました。それが、先生の提唱する「全一学」です。
外国のものでも自国のものでも良いものは取り入れて、独自の新しいものを作る。これは料理にしても和食・洋食・中華と多彩に対応し、古くから外来の文化を導入してきた日本の得意とするところだと思います。
“「和」をもって貴しとなす”、と聖徳太子はおっしゃいましたが、「和」はまさに日本が得意とする「和(あ)えもの」の「和」でしょう。
日本人は、世界の文化に精通しつつ、自国の「禅」であるとか、日本文化の共通概念も大事にして、それらを融合することにより、世界を良い方向に進める役割を担っていると思います。
そういった中でこの本は、まさに日本人であるならば一人一冊、一家に一冊用意し、なにかの折に触れ読みたい本だと思います。
日本初の哲学者ともいうべき西田幾多郎。その西田の哲学からつながる森信三先生の思想に触れながら、足もとの日常生活レベルから良い生き方を目指すことができます。
厚くて読むのが大変!と申される方は、本書とは別に『修身教授録 一日一言』も用意いただき、後者を一日一言ずつ読みながら、気になったものは本書でじっくり読んでみるというのも、いいかもしれません。
他には
『修身教授録』の厳選された言葉を、一日一言のかたちで日めくり的に読むことができます。
一日ずつ読んでもいいですし、厳選されていますので、ざっと一年分よんでしまっても、さほど時間がかからないにもかかわらず、森信三先生の思想にどっぷり漬かることができます。
森信三先生の言葉を、数多くの著作から厳選し、一日一言のかたちで読むことができます。
人間学や「全一学」についても学ぶことができ、まさに森信三先生の思想のエッセンスが詰まった一冊だと思います。