ツバサ広げて

2020年3月31日

ツバサ アンダーグラフ

今回は、本の紹介ではなく歌の紹介になる。そもそも歌というものは詩にメロディをつけたものだから、詩としても味わうことができる。

歌は、詩である歌詞にメロディが付いていることで、日ごろ読書などで言葉の理解に使う(多くの人で言語中枢のある)左脳ではなく、右脳に働きかける貴重な表現法だと思う。

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私は研修2年目の半年間、かなり忙しい病院で研修していた。自分なりにはよくやったつもりであったが、研修医2年目ということもあり、周りに言われるままに過ごしていたような気がする

あの半年間が、自分の人生においてどういう意味を持っていたかは分からない。しかし、その病院での研修が終わり、去る時になって、初めて「去る寂しさ」を感じたと思う。

もちろん、小学校や中学校、あるいは高校の卒業式なども、去る寂しさは感じただろう。それは今までお世話になった教師や友人たちと離れる寂しさだったと思う。

しかし、研修のときにその病院を去る際に感じた「感慨」は、初めてだった。

それは、その病院での研修期間が半年間と、それまでの2,3か月で変わる研修先よりは長かったためもあるかもしれない。

ただ、それだけではなく、忙しかった日々に「思い入れ」ができていたと思う。最後の日に、お世話になった部門に挨拶に行ったが、涙が出そうになっていた。

忙しかったが、それなりにやりがいを感じていたのかもしれない。そうだ、「大変だったけどよくやったなあ」と感じた気がする。

その後もローテーションなどで忙しい病院に勤務することはあったが、そのときに感じた「大変だけどがんばった」という気持ちが、いつか感じられることを知っているので、なんとかやってこられたのではないかと思う。

その研修医のときの忙しい病院を去るあたりを思い出すと、いつも浮かんでくる曲がこの曲である。そのときに流行っていたのかもしれないし、なにかで聞いたのかもしれない。実際にCDを購入したのはその後かもしれない。しかし、その病院を去るときのテーマソングがこの曲であった。

もともと別れの曲、旅立ちの曲なのだろう。この曲を聴くと、あのときが思い出される。

本においても古典は、読む時代、年代、気持ちのあり方によって受け取り方、感じ方が異なることがあるの。そのため幅広い年代に、幅広い時代に読み継がれてきたのだと思う。

それと同様に、良い歌は聴くたびに自分のいま現在の境遇に合わせて受け取られ、解釈され、いつまでも色あせることなく聴くことができるのだと思う。

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本日は令和2年3月31日。明日は新年度となる。今まさに別れと出会いの時期である。そんな時期のせいか、最近の自車のオーディオではこの曲が繰り返し流れている。

歌詞より、一部を引用させていただく。

“変わらぬ空に 君を映して 上手く飛べたら 高く飛べたら”

曲想からは「君」とは恋人なのだろう。しかし、聞く人の境遇によってそれはまた様々な相手になると思う。

ある人には恋人かもしれない。ある人には家族かもしれない。ある人には師と仰ぐ人かもしれない。ある人には大切な同僚かもしれない。ある人にはライバルかもしれない。ある人には、理想とする自分の姿かもしれない。

あのときの自分にとっては、忙しい病院でもがんばった自分を、いつも見慣れた変わらぬ空の一歩先に掲げることによって、その姿を常に追い続けながら困難を乗り越えて進み、成長しようと思ったのかもしれない。

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この曲はたんに別れの寂しさ、去る寂しさを謳うだけではないと思う。別れのあとに、お互いにがんばろうという感じがするのが、気に入っている。

この時期に、ぜひ聴いてほしい一曲である。

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