どう考えても医療の一端は知識と技術であり、これは先達者から伝授されたり、教科書から読み取るものである。つまり、教育であり、勉強である。効率のいい教育、勉強とは・・・そんなものはないと考えるのが正しいだろうが。少しでも効率を良くすることを考えてみる。
教育と勉強には下記のような性質があると思う。
・教えられることは限られる
指導者の力量にもよる。
経験知、暗黙知という「言葉で語り得ない知」もある。
・教えられる側の態度・姿勢にもよる
態度が悪いのは、はなし以前の問題
教えたくなるような態度
・OJT(on the job training)、off-JT、あるいは教科書からの体験や勉強。これらを経験へと昇華させ次に生かしたい。
・では、どうするか・・・「反省」、省みることだろう
ある体験をして、その体験を省みることをしないと、自分の範囲の理解で終わってしまう。つまり、体験が、体にしみついた「経験」にならない。内容とその解釈についても自己完結してしまう。そこで少し、深く何かないかと問いなおしてみる。あるいは他の人に意見を聞いてみる。できれば上司がいいかもしれない。
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例えば、紹介状の返事
「肺に腫瘍が見つかり、経過観察をしていたら増大傾向にあった」
このように紹介されてきて、こちらで全身を調べたところ、大腸がんが見つかった。大腸がんがもともとあり、その転移性肺腫瘍であったと考えられる。
これについて、紹介元に送る返礼状というか経過報告書としては、
「こちらで全身検索を施行させていただきましたところ、大腸がんが認められました。大腸がんの肺転移と考えられます。ご紹介ありがとうございました。」
といった具合だろう。
この文面から、紹介元はどこまでくみ出せるか、くみ出そうとするか。あるいは、自分が紹介元だったらどうするか。
A:ああ、そうだったの。こちらでは調べもしなかったから、患者さんなにか文句いっていないかな。
B:初診時に鑑別疾患をたてて、鑑別のための検査を行うべきであった。
まず、経過に差はあるとしても、紹介されるまでの一定期間はこの患者さんの大腸がんは放っておかれたのである。大腸がんがあったと言われた患者さんは、どのような気持ちだろう。Aで済ますこともできる。しかし、それではまた同じことを繰り返すだろう。
少なくとも次は、Bのように考えていただきたいものだ。
紹介元への返事は、当たり障りのない文面で済ますことが多い。ではそれを受け取った紹介元(あるときは自分)は、その当たり障りのない内容を文面通り了解するだけでいいのか。内容によっては、というか大部分はそれですむ症例であろう。しかし、前述したような症例の場合では、次に生かす工夫が望まれる。
その一助となるのが、「反省」である。
「反省」することで、自分がそのとき受け取った以上のことを知る・経験することができる。
たとえば、上記のようなエピソードが、自分が指導中の下級医や研修医の行いであったならばどうだろう。
「これは、見逃しじゃないか。なぜ初診時に鑑別診断として転移性腫瘍を考え、腫瘍マーカーを調べたり、全身検索したりしなかったのか。そうでなくても、どうしたらよいか上級医に相談しなかったのか」などと言うと思う。
指導医は下級医や研修医に対して、今後同様の対応を繰り返さないためにも、熱を込めた指導を行うと思う。指導しようという熱がなければ、下級医や研修医に対してもうわべの対応で、前に述べた紹介元への返礼状のように済ましてしまうだろう。
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指導といっても、すべての指導中の下級医や研修医に熱を込めて指導するかどうかは、差が出ると思う。
指導医は、下級医、研修医を良い方向に成長させてやるんだという(そんなにアツアツでなくてもいいので)「情熱」を持って指導するべきであるし、指導される側も、(演技でもいいから)「情熱」を持って、どんなことも指導されようという姿勢が必要である。
そして起こった結果を、くまなく見直して同僚や上司との対話を通して、次に生かす「反省」が重要である。
「反省」については、また稿を改めて書きたい。
「情熱」と「反省」は、教育と勉強のミソであると思う。