「量子論」を知っておこう!

2019年12月8日

「量子論」を楽しむ本 佐藤勝彦 PHP文庫

 初期値とその後の運動が方程式で与えられれば、任意の時間が経過した時点で物体がどこに位置しているかは確定できる、というのがいわゆる古典物理学、ニュートン力学でした。それを崩したのが現代物理学の二つの理論、量子論と相対性理論です。今回は量子論についての本の紹介です。

 量子論では、極小の世界における原子、さらにそれを構成する陽子や電子などの粒子の振舞いは、もはやニュートン力学では説明できないものであるとします。

 たとえば学校ではこう習ったでしょう。原子において中心に原子核が存在し、その周囲を電子がまわっていると教わったと思います。さらに、「まわっている」軌道については、高等教育となると様々な軌道があることが教えられます。

 しかし、実際に電子はそういった形の軌道をビュンビュンまわっているわけでもなく、その軌道面のどこかに一定の確率で存在する(どこにあるかはわかりませんよ)、といった具合です。

 量子の代表として光子、つまり光のことを考えてみましょう。光は電磁波です。電磁波というのは、電場と磁場が空間的に広がっていくというイメージでしょうか。電気が流れるとその周りに磁場が生まれます。磁場もまた電場を生み出します。その繰り返しが空間的に広がるイメージです。

 「波」というくらいですから、波長があります。ある領域の波長の電磁波は、目に見えます。いわゆる可視光線です。可視光線で最も波長が短いのが紫色、波長の長いのが赤色です。紫色と赤色の可視光線の波長帯の、およそ真ん中に位置するのが緑色です。「真ん中だから緑色をみると心が落ち着く」といううわさもあります。

 さらに、赤の外側(波長が長いほう)が赤外線、紫の外側(波長が短いほう)が紫外線です。さらに波長の短い電磁波に、放射線診断で頻用するエックス線や、放射線治療に用いられるガンマ線があります。赤外線より波長の長い電磁波としては、いわゆる電子レンジで用いられる「マイクロウェーブ」や、テレビやラジオに用いられる「電波」があります。赤や緑の可視光線と電子レンジ、テレビ・ラジオからエックス線まで、生活の様々な場面で電磁波は活躍しています。

 電磁波には、「波」としての性質と「粒子」としての性質があります。光というと単純に光子をいう粒が飛んでいるというわけではなく、波が空間的に広がっているということでもあります。ここが量子論の面白いところであり、「波」なのか「粒子」なのかは、電磁波を相手にどのような観測をするかによって決まるというわけです。

 例えば電磁波の性質を調べる実験では、「波」としての性質があるかどうか調べる実験(二重スリット実験)では「波」としての性質を示しますし、粒子がどのスリットを通ったかを観測し、「粒子」として扱った実験では「粒子」としての性質を示します。

 つまり、もはや量子という相手はこちらの働きかけによって性質を変え、観測することによって存在する場所・位置が決まるということです。客観性が売りの物理学が、ここまでくると、観測者による「観測」という「介入」によって、さまざまな結果が得られるという話になってしまいます。

 この本は難解である量子論のポイントが理解できるように、図やイラストを駆使してわかりやすく説明してくれます。量子論は物理学やコンピューターはもちろん、生物学、生命現象、さらには脳科学に大きく関わる理論であり、その大要をつかんでおくことは、大きな力になると思います。

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月は「見た」からそこにあるのか?

・・・「量子論の言い分が正しいのであれば、月は我々が「見た」からそこにあり、我々が見ていないときにはそこにはいないことになる。これは絶対に間違っていて、我々が見ていないときも、月は変わらずに同じ場所にあるはずだ」(P185)

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世界は観測者が作る?

 物体としての月という大きな石のかたまりは、きっと宇宙空間に浮かんでいるのでしょう。しかし、その月は我々、というか「私」が見ていないときには存在するのでしょうか。もちろん存在するというのが、自然な受け取り方でしょう。

 同じような話で、人が全くいない(あるいは動物も全くいない)原生林の奥深くで、突出して屹立していた大木が倒れました。さあ、その時に「音」はするのでしょうか?というものがあります。たしかに「空気の振動」はあるでしょうが、人も動物もいなければ、「音」としてとらえるものはないかもしれません。

 考えてみると量子論の考え方によらなくても、この「私」が見ている世界は「私」が眼なり耳なり感覚器官で捕捉した信号を用いて「私の脳」が作った作品なのです。そこには外界からの信号のみならず、脳のなかに貯めこまれたこれまでの記憶や経験、そのときの感情や体調もかかわって作り上げた作品なのです。

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ミクロの世界における観測の影響

・・・私たちがふだん目にするマクロの世界の物質に光を当てても、物質の質量が十分に大きいので、その位置が変わってしまうようなことはありません。しかしミクロの世界の小さな物質の場合には、たとえばその物質が「どこにいるのか」を観測しようとして光を当てると、当てた光のエネルギーによってミクロの物質が動いてしまうために、もともといた位置がわからなくなったり、物質の運動方向がかわってしまうといったことが起こります。つまりミクロの世界を「見る」場合には、その対象物を「見る前の状態のまま」で見ることはできないのです。(P165)

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「見る」という介入が対象を変えてしまう

 たとえば我々が外界の情報を得る手段として、大部分を頼っている視覚ですが、対象に当たった光子の跳ね返りを拾っているわけです。蛍光灯にしても懐中電灯にしても顕微鏡にしても、光を当ててその跳ね返りを拾うわけです。その光が、ミクロの世界では対象に影響を与えてしまう。つまり、「観測」することが、対象に影響してしまうわけです。

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「量子論によって衝撃を受けない人は、量子論をわかっていない人だ」

・・・「量子論を利用できる人はたくさんいるが、量子論を理解している人は一人もいないだろう」

・・・量子論が示す物質観・自然観は何とも奇妙で不可解です。しかし私たちが理解できなくても、私たちの常識と食い違っていても、そこに真理はあるのです。科学によって、私たちは人間の五感だけではつかめない自然の真の姿に触れることができるようになりました。(P251)

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科学はもはや客観的になんでも理解させてくれるものではない

 いろいろと、世の中には科学では解明できない現象がいわれてきました。そういった現象の一部も、量子論の考えで当たっていけば、ある程度説明がつくのかもしれません。科学はニュートン力学のように「こうすればこうなる」と理路整然としているものでしたが、量子論の出現により、もっと幅をもったものになった感じがします。

 なかなか科学的なアプローチでは解明が難しい心理学や脳科学も、量子論の応用で、もう少しわかってくるのかもしれません(あまりなんでもかんでもわからなくてもいいような気もしますが)。

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