実社会で暮らしていくためには数学や化学などといったいわゆる自然科学、文学や社会学といったいわゆる人文科学など、実用に与する学問が必要です。これらは義務教育や高等教育で勉強することができます。
こういった実用の学門以外にも、道徳や宗教・哲学、生き方といったことを考える「人間学」とでもいうべき学問があり、こちらも実社会で生きていくためには非常に重要です。人間学なき行動、科学は悪にさえ傾いてしまいます。(西田幾多郎もこういうことを「善の研究」で述べていたと思います)
ではこの人間学を学ぶにはどうすればいいのか。私は読書が重要な位置にあると思います。食物は体の栄養であるのに対して、読書は心の栄養ともいわれています。
しかし現在は読書離れが問題となっています。つまり我々は、体に対しては日々三度の食事を欠かさず、一食でも欠かすと体が不満を訴えるのですが、心に対する栄養はほとんど与えていないといってもいいのではないでしょうか。
今の人は、とくに学問をする身である学生が、読書をしないということがいわれるようになって久しい感がありますが、これはなぜでしょうか。そこには教育、勉強、および読書といったものを、やればすぐに効果が出るものと考えて、努力に対する(すぐに出る)目に見える効果を期待してします風潮が影響しているのではないかと思います。
しかし、そうではありません。教育、勉強、および読書というものは、入力から出力までに必ず一定の時間(かなり長いことが多い)が必要です。
これと対極的なものがいわゆるビジネスです。ビジネスの取引は、つまりお金を出せばそれとほぼ同時交換的に品物を受け取ることができます。コンビニではいつでもどこでもお金を払えばすぐ商品が得られます。お金と商品の交換はほぼ時間0で可能です。
しかし、教育、勉強、読書といったものの効果は、すぐには出ないのです。それを、学費、授業料と引き換えに知識やスキルを得るという同時交換的なものと考えるところに、間違いがあります。しかも、得られる効果もどこでどのように役立つかどうかは、分かりません。
等価交換に慣れた現代に生きる我々は、教育、勉強、読書に対してもすぐに目に見える効果が出ることを期待してしまうのではないでしょうか。
そういった中で、少しでも出資と効果の交換がはっきりしているものとして最近はやっているのが、いわゆる資格や免許のとれる教育、勉強でしょう。ある程度の金額を払ってある程度の期間がんばれば、対価として資格が得られるというものです。
また、大学においても特に医学部はそういった傾向が強いかもしれません。医学は生物学などの自然科学とともに心理学や社会学などの人文科学も両方とも必要な学問です。しかし、患者さんという人間を相手にする以上、その人の考え方や生き方、その人に接する態度などといった、「人間学」の力も必要と思います。
ついつい医師国家試験のための「予備校」のようになってしまいがちな医学部とその勉強ですが、読書を通して、もちろん読書のみならず課外活動や先輩や指導者との付き合い、そして飲み会などもそうだと思いますが、人間学も身につけていきたいものです。