宗教は手のひら、哲学はそれを指す指

2019年11月13日

宗教は手のようなものという。指のように枝分かれしたいろいろな宗教、宗派があるけれど、手のひらのように根元はいっしょである。人間が、いかに良く生きるかということを目指している。

目指すところは一緒でも、道のりは違うというのは、登山にも似ている。富士山にもいくつかの登山道があるだろう。

我々の仕事も、大きく考えると人々のためになり皆が良くいきられるようにするためのものだろう。仕事の種類はいろいろあるが、目指すところは一緒である。

宗教が手のひらであれば、哲学はどうか。哲学は昔から、科学と結び付いている印象がある。まだ哲学が初期の頃は、自然現象について考えるのが哲学であった。

宗教の手のひらを、輪郭をなぞり、特徴を指摘し、より客観的に見るのが、もう片方の手で作る指し示す人差し指。こちらが哲学のような気がする。

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