書評の仕事 印南敦史 ワニブックスPLUS新書
読書するからには、最大限に活かしたいと思うのは当然です。そのためには、前にご紹介した「愛読」など様々あります。
しかし、読んだだけではなく、読んだ内容を「アウトプット」することが、読書を最大限に活かすポイントだといわれています。
このアウトプットにもいろいろあります。大事なところやピンときたところを「抜き書き」することであるとか、「人に話す」こと、あるいは「感想を書く」であるとか、内容の紹介・批評も含めた「書評を書く」というものがあります。
そういったなかで、「書評を書く」ことが、一番のアウトプットではないかと思います。それは単に書き出したり、話すだけ、あるいは感じたことを書くだけではありません。
書評とは、内容を分かりやすく紹介し、それに対する自分の評価や考えを付け加えて、元の本とはちょっと違うかもしれない、書評した人の意見も加わる文章だと思います。
でも書評を作るというのは、読書後の作業のなかで一番大変なのはいうまでもありません。
私もこのブログで書評(のようなもの?)を書いていますが、「どうしてこの本の面白さをもっとうまく書けないかなー」といつも苦しんでいます。
文章もたどたどしく(こんな言葉を使うから余計たどたどしい)、うまい文章、読みやすい文章とはなかなかいかないものです。
そんなとき、ふと(なかば計画的ですが)立ち寄った書店で見つけた新刊がこの本です。
著者の印南氏は年間500冊を読み書評を作るという超人気の書評家です。他にも『遅読家のための読書術』や『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』など、読書に関する本を出されています。
その経験に裏打ちされた、書評についての「考察」「知恵」が盛りだくさんの一冊です。
日頃の読書を、さらに活かせるようになりたいと思っているみなさん、ぜひこの本を読んでみてください。
「書評を書く」ということを学ぶことが、廻りまわって良い読書につながるのではないかと思います。
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・・・書評に関するあれこれは、意外と他の多くのことに応用できるものでもあります。なぜなら書評を書くにあたっては、「読みかた」「書きかた」「選びかた」「接しかた」「考えかた」など、さまざまなことが絡んでくるから。それらはすべて、書評家以外のあらゆる仕事にとっても重要なファクターとなるはずです。(P5)
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ここで述べられている「読む」「書く」「情報の選別」「相手への配慮」「考える」といった能力は、まったくもって日常の仕事に必要とされる能力です。
読書だけの段階では「読む」にとどまり、本の内容はどのようなものか、そこからどういった情報が自分に有益か、ピンとくるかということを考えると「情報の選別」「考える」になるでしょう。
そして、自分で文章を書いたり、感想を書いたりする段階で「書く」へ。書くにしても個人的に感想文やメモとして残しておくだけならあまり気にしませんが、書いたものを他人に見てもらったり、ブログのようなかたちで公表したりするのであれば、「相手への配慮」も必要になります。
書評を作るということは、読書を最大限に活用するアウトプットであると同時に、社会で生きていくうえでの重要な要素を、ふんだんに含んだ行為であると言えるでしょう。
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もちろん書くにあたっては冷静さも重要なのですが、「書かずにはいられない」という想いをなんらかのかたちで表現することは、それ以上に大切だと僕は考えて考えています。うまいか下手かという以前に、書き手のそんな想いこそが人の心を動かすはずだから。(P124)
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読書をしていると、ピンとくる部分があります。この「ピンとくる」という表現もきわめて主観的であいまいなものですが、ピンとくるんです。
自分の考えと合っているであるとか、知らなかった知識であるとか、役に立ちそうな情報であるとか、いろいろなことがピンときます。
何がピンとくるかは、読む人の知識や経験のレベル、性格、職業など個人的な要素によって違うでしょう。でも、自分にピンときたもののなかに、「これはぜひ他の人にも伝えたい!」と思うものも、ときどきあります。
みんな知っているのかもしれない。でも自分はこの本を読んで、この部分がピンときたんだ、ということを、どうしても伝えたくなることもあるものです。
その「書かずにはいられない」という想いを書き込むことが、面白い書評にするポイントの一つではないかと思います。
話すにしても同様ではないでしょうか。たとえば報告などで何か伝えたいことがあるとき、口下手のため話の流れとしては全然スムーズではなくても、伝えたい事柄が伝われば、それで目的は果たせるわけです。なにも会話を盛り上げたいわけではありません。
文章についても、「これを書きたい」という内容を大事にして、その内容が伝わるように周囲の文章で足場を作るような考えでいいと思います。
文章のうまさ、スムーズさは、後からでもついてくると思います。逆に、変に文章に凝ってしまって、「これを書きたい」という内容が伝わらないのはダメでしょう。
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それは、刺さりそうな部分だけをクローズアップすればいいということでもあります。必ずしも、一冊分すべてを解説しなくてもいいのです。逆に一冊分すべてをまとめてしまったとしたら、非常に散漫な書評になってしまうと思います。ですから「どこにポイントがあるか」を見極め、そこを中心にまとめるべきだと僕は考えています。(P144)
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書評として文章を書いて、それが一冊の本の全体を解説できればいいのかもしれませんが、それでは元の本と同じもの、または単なる要約ではないでしょうか。
書評の良い点は、一冊の本を読んで、書評する人(これは様々な境遇にあると思います。年齢、性別、職業から本をたくさん読む人、そうではない人・・・)が、自分のフィルターにかけて、ピンときた部分を抽出するところにあるのではないかと思います。
そのフィルターが各々違うことにより、元の本の面白さ、情報の得られ方が違ってくることが、書評の魅力の一つではないかと思います。
さて、このブログで書いている書評は、基本的に私が読んだ本の「抜き書き」をベースにしています。
本を読んでいて、「ピンときたところ」に付箋を貼っておきます。そして、一冊読了ののちにその付箋を貼った部分を見返して、「抜き書き」としてワープロで保存しておきます。
もちろん、付箋の数は本によってまちまちです。多いものでは数十枚になりますし、場合によっては全く付箋がつかない本もあります。
その「抜き書き」に対して、自分が感じたこと、考えたことを書いていくというのが、このブログの書評の基本的なスタイルになっています。
当初は、すべての「抜き書き」について書き込んでいこうと考えていました。しかし、時間もかかりますし、文字数も多くなり読むほうも大変だと思います(文章も拙いし)。
この本でも著者は「刺さりそうな部分だけをクローズアップすればいい」と述べています。自分が「抜き書き」した部分は、その本を読んだ時の自分に対して「ピンときた」部分であり、万人に当てはまるものではないと思います。
そこで、最近は「抜き書き」した中でも厳選して、「これは、こういうことに興味がある人にとっては良い情報ではないか」といったものを、なるべく書くことにしています。
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「書評を書く」ということは、最高の読書処理(変な造語です)だと思います。
メモや話題、感想にとどまらず、内容の取捨選択を経た要約を作り、自分の意見や考えなども加えるわけです。
これはたとえば本が原石で、書評を書くということはその原石を自分なりに磨いて加工し、宝石として輝かせること、と言えるのではないでしょうか。
また、ミケランジェロが「石の塊に埋まっている彫刻を取り出す」と言ったように、本という石の塊(ちょっと著者に失礼な表現ですかね)から自分なりの彫刻を彫り出す作業と似ているかもしれません。
最初のうちは多少不格好でゴテゴテしても、もとの一冊から自分なりの書評という宝石や彫像を作り出すことが、本に対する最高の接しかただと思います。