最近、書店を歩いていると「・・・で人生が変わる」「人生を変える・・・」という題名のものを目にする。
「人生を変える」ってなんだ?
まず根本的な考え方として、人生は変わらない。「変わる」ということは、「もともとその道を進むはずであったけれど違う道になった」という話でなくてはならない。これは「人生というのは敷かれたレールを進むようなもの」という、いまや絶滅危惧種にも近い考えのもとで生まれた考え方ではないか。
実際にレール上を走行する電車にたとえると考えやすい。進んでいくと分岐ポイント(転轍機)があり、本線をまっすぐ進む予定であったが、ダイヤの関係などで支線に入る必要が生じ、分岐ポイントが切り替えられ支線に入る。この場合、進むレールは確かに変わった。
さて、人生はどうだろう。あなたの目の前にレールはあるか。いちおう予定として来週や来月、この1年のレール(予定)を手帳に書き込んでいたりするかもしれない。だいたいその通りに進むが、まさに「人生を変える」ような出来事はときどきあるものである。
予定はこっちの都合で勝手に作っておいたものである。きっと必ずそこを進んだのだという保証はない。
考えてみるに人生は、さながら、レール(道でもよいが)を敷きながら進んでいる印象である。後ろを振り向いてみると、「ああ、こんなふうに通ってきたわけね」と思うことが多い。
高村光太郎の『道程』にもある、
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」
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しかし、世の本には「人生が変わる」「人生を変える」とついている題名の本が多い。それはおそらく、大きく人生の進行方向を変えるというものではないが、見方によっては微妙には変えてくれるのだろう。
そう、人生は日々刻々と、微妙には変わっているのである。
数学の微分みたいなことをして、人生の日々刻々の微分係数(曲線ではある点における接線の傾きでしょうか。3次関数の曲線なんかではウネウネ変わるわけです)を見てみると、そういった「人生を変える」本で読んだ要素や「人生が変わる」経験が影響して、ちょっと増えたり減ったりすることがあるかもしれない。
そもそも、「人生は変わる」のである。日々刻々と。
その変わっていく方向を、少しでもいい方向に向けるために、仕事をがんばったり、勉強したり、こういった「人生が変わる・を変える」本を読んだりするのである。
また、ある程度の目標を持つことも大事である(私は苦手ですが)。
たとえば電車で東京から出発するときに、行き先を決めるわけである。青森と大阪ではずいぶん違う。大阪と決めれば、東海道新幹線でも東海道線でも中央線で名古屋経由でも、はたや北陸新幹線を使って北陸経由でも行くことはできる。
その途中で寄り道したり、京都に滞在して仏教の勉強をしたり、山梨で富士山に登ってみたり、名古屋でうまいものを食べたり、金沢で西田幾多郎に傾倒したりするのは、自由である。
飛行機の操縦のように刻々と方向を「いい方向」あるいは「目的地」の方向に調整しながら人生を進めていきたいものである。