ほしいを引き出す言葉の信号機の法則 堤藤成 ぱる出版
営業や商売においては、いかに相手に自分が提供するサービスや商品を購入してもらうか、が目的の一つとなり、ほとんどの場合においてそれが第一の目的だと思います。
たしかにお金を得なければ自分の仕事を続けることはもちろん、給料を得て自分や家族を養うこともできません。
そういったお金を手にし、そのお金をもとにさらに経済を発展させるという仕組みは、いわゆる資本主義の一要素として現代に染みわたっています。
しかしその資本主義が、格差の出現や環境破壊など、現代がかかえる様々な問題の現況になっていることも事実です。
経済成長を目指しお金を儲けることを第一に考えるような(もともとの資本論とはちょっと離れてしまった)資本主義を、見直す必要があります。
(資本主義の考え方については「世界の見方が変わる『資本論』」の記事もご参照ください。
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この本で強調している、例えば「うる」から「うるおす」という考え方は、そんな問題の多い資本主義を大きく転回してくれるものだと感じました。
なんとかかんとか相手に売りつけて儲けるというよりは、ちょっと立ち止まり相手が何を不満に感じているのか、不満に思っているのか、そこを感じ捉える信号の「赤」。
その不満や必要を感じ取り、自分は相手になにができるのか、どんなサービスや商品を提供すれば相手はすすんで購入してくれて、相手の人生を良い方向にすすめることができるのか、という「青」。
そして、普通に過ごしていたら気付かれないようなことにも気づいてもらい、相手が必要としていることを、助けることができますよ、というメッセージに気づいてもらう「黄」。
みごとにキャッチコピーを信号の三色に配し、営業や商売において売り手である自分も、買い手である相手も、そしてそのようなお互いを思いやったやり取りで、人間ぜんたいが幸せになっていくという、まさに近江商人の理想とする「三方よし」の理念を、もたらしてくれる一冊だと思います。
実はコピーライターでも、いきなり最高のキャッチコピーや、思わず唸る言葉が書けることはほとんどありません。そのためにもまずは質を問わず、数を書いてみることに集中することが大事です。(P91)
これは読書も同じですね。良書と出逢い、一生の一冊となるような本を手にしたいとは思いますが、いくら様々な書評サイトを見ても、評価を読んでも、自分に合った一冊を見つけることは困難です。
ではどうするか、とにかく数を読む必要はあるかと思います。量より質という考え方もありますが、質は量によって生み出されるものでもあります。
たとえば、多くの人が良書だという一冊の本を、「はいどうぞ」と渡されて読んでみた時に、自分がその本を同じように良書だと感じられるかどうか、それは自分の知識や経験にもよると思います。
言い方が悪いかもしれませんが、読書にもある程度能力がかかわると思います。読書能力を鍛えてくれるのは、それもまた読書だと思います。
どんな本でも、なにかしら自分の脳みそに置き土産としての知識を残してくれます。すぐ利用できるものもあれば、一見なんの役にたつか分からないものも。
様々な本を読んで、そういった知識や経験を積むことで、良書を良書と感じることができます。
読書といったインプットだけではなく、ここで述べられているようにアウトプットも同様ですね。
よい文章も最初から書くことができるわけではありません。数を書くことによって、次第に文章も洗練されてくるのでしょう。
有名や俳人や詩人、作曲家、彫刻家、陶芸家、画家などなど。光り輝く作品の影には膨大な習作があります。キャッチコピーも同じなのですね。
言葉も同じです。まずは「人を動かす」や「売る」という言葉にマイナスな印象を抱いているのなら、そのブレーキをかけているネガティブな感情ときちんと向き合いましょう。(P99)
言葉は自分の内面を外界に表現する手段の一つです。でも、自分の内面をまるきりそのまま表現できるわけではありません。
言葉は有限であり、時間制限もあり、さらに相手の解釈に依るところが大きいという困った点もあります。
そういった特徴に加えて、この一文を読んで新たに言葉の一つの側面が感じられました。つまり、自分が自分の言葉に対してどういう印象を抱いているか、ということも、言葉を使う上での大きなポイントなのですね。
どうしても「人を動かす」というと支配的な感じがあります。また「売る」というと相手からお金をもらうという点で、本当にその対価となるようなサービスや商品を提供しているかどうか、など気後れすることもあります。
その感情が、言葉の微妙なニュアンスや表情を通して相手に感じ取られることもあるでしょう。
ある程度演技力も必要であり、自分の仕事や考え方、言葉の使い方には、演技でもネガティブな感情を排することは必要ですね。
もちろん、本当に良いサービスや商品を提示することがあってのうえです。
現代社会は、「売る」という行為を通じて価値を交換することで、循環し、うるおいがもたらされています。つまり「売る」ということは、誰かの生活を、心をうるおすことです。(P105)
なるほど、「売る」ということは、だれかの生活を、心を「うるおす」ということなのですね。
私もいちおう医療を提供してお金をいただいている身です。まあ、ある程度、患者さんである相手の必要性に応じて提供しているということはあります。
でも、そういう中/仲でも、相手に機械的に必要な医療を提供するのではなく、相手の心をうるおすことができるか、と考えて提供する。
そういう気持ちがあるだけでも、さらに患者さんのためになることはできないか、と最善の方向に考えることができます。
これは全ての仕事に当てはまると思いますし、そうやって全ての職業が稼働していったら、今の資本主義経済も社会も政治も、もっと良くなるのではないでしょうか。
そこで、この欠けた茶碗にこそ大きな価値がある」という新しい概念をつくったことで、領土を明け渡さずとも、モチベーション高く組織を維持する方法を確立しました。(P134)
千利休がなんの華美さや装飾性もない質素な茶碗に価値を見出し、というか創り出し、領地に換わるまでの価値をもたらした。
こういった「文化のリフレーミング」は価値観を転回し、世の中を一辺倒ではなく面白くしてくれると思います。
文化は、実際のところ無くてもヒトという動物としては生活できるのかもしれません。
でも、インフラや道具などに関わる文明は、あれば便利にしてくれる一方で、文化というのは、生活をより面白く、楽しく、感情に訴えるものにして、“幸福”に関わっていると思います。
ただ、文化も受け手の解釈によるところが大きいでしょう。千利休の例だけでなく、近年のいわゆる「オタク」と呼ばれている人間の性質も、「文化のリフレーミング」の一例かと感じます。
一つのことに集中して、はたからみたらどうなのと思われるくらいに凝って進んでいく。ときにはそれが新たな文化を一般の人たちにももたらしてくれます。
きちんと「求める行動」を言葉にすることで、受け取る相手が察する必要がなくなります。そんなコミュニケーションコストを下げる言葉が『きになる黄』です。(P150)
なぜ、具体的な行動を言語化する必要があるのでしょうか。それは現代が、情報爆発の時代だからです。(P152)
VUCA(volatility;変動性、Uncertainty;不確実性、Complexity;複雑性、Ambiguity;曖昧性)にあふれた今とこれからの時代、
なにが正解か分からない時代です。情報技術の発達により、ネットやSNSで「言葉」があふれています。
我々はそういった「言葉」を頼りに世の中を見て、学んでいますが、どうしても「言葉」を過信してしまい、頼り過ぎてしまいます。
本当に、「言葉」だけはあふれています。そして「言葉」だけで考えてしまいがちです。実際に手に取って見たり、実行してみたりすることで分かる、感じられる様々なサービスや商品の良さもあります。
そのため、サービスや商品を勧める側としては、「言葉」を「行動」に移してもらうための言葉が必要となります。
これは、「対話」にも当てはまるのではないでしょうか。対話というとそれこそ「言葉」だけのやりとりと考えがちですが、相手にどう考えてほしいと働きかけたり、逆に相手は自分にどう考えてほしいと働きかけているのか、と考えてたりしてみること。
こういった、言葉が相手や自分にどういう行動を起こして欲しいと伝えているのか、と考えを巡らせることも、対話の重要な要素です。
ここで述べられている「求める行動」を分かりやすい、行動に導きやすい言葉にすることは、キャッチコピーの大切な一要素であるだけでなく、日常の対話や教育などにも、重要なことだと感じました。