マインドセット「やればできる!」の研究 キャロル・S・ドゥエック 草思社
「しなやか」「マインドセット」。あまり日常で使わない言葉が二つ並ぶ。
まず、「マインドセット」とは、様々な出来事に対して自分がどう考えるか、とらえるかという「気持ちの持ちよう」(同語反復を避ければ「気の持ちよう」か、それでは「気持ち」と同じか・・・)といえるだろう。
著者は、「マインドセット」には二つあると言う。つまり、「硬直マインドセット=fixed maindset」と、「しなやかマインドセット=growth mindset」である。
まずfixedは硬直でいいと思うが、growthは「しなやか」というのは、言い得て妙の日本語かもしれないが、少し誤解を与えるかもしれない。「しなやか」とはつまり、「growth=成長」を重視して、そのときそのときの出来事を常に「成長」の糧としていこうとする、気持ちの持ちようなのだろう。
このあたりは、起こることはすべて自分にとって成長の足しになるものだという、様々な先人が言っていることとつながるだろう。
一方の「硬直マインドセット」は、自分の能力は固定的で変わらないと信じていることである。
この本は、硬直した考えで、いかに効率よく成長させてくれることを選択して生きていくか、いかに自分にとって有利な人生を進めるように、選択肢を選んでいくかという人に、うってつけだと思う。
ただし、そういった考えかた、気持ちの持ちようは、日頃そうではなくても場面によってはどんな人にも現れるもので、皆が心得ておきたい考え方である。私も含めて。
いくつかの引用を含めて、この二つの「マインドセット」という考え方について、見ていこうと思う。
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硬直マインドセットの学生は、すんなりうまくいっている間だけは関心が保たれていたが、難しくなったとたんに興味もやる気もガクンと落ちこんだ。自分の賢さが証明されないと、面白く感じられないのである。(P34)
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順境はだれでもOK、逆境でどうなるか
うまくいくことや得意なことをやっている間は、誰でも意気揚々とこなすものである。問題は、うまくいかないこと、不得手なことに出会ったときにどう考えるかである。
硬直マインドセットの人は、興味もやる気もガクンと落ち込む。しなやかマインドセットの人は、やる気が低下することもなく、より興味をそそられる。
だれでも不得意なことをするのはいやである。しかし、それを敢えて「やる気を出して」してみるとどうなるか。
やる気を出して(表面上かもしれないが)仕事を進めるのと、イヤイヤ仕事を進めるのでは、やる内容は同じだろうが、そこから得るものの量に違いが出るのではないだろうか。
「結果」や「報酬」は変わらないとしても、「成長」や「経験」としては、前者の姿勢のほうが得られるものが多いと思う。
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能力をほめると生徒の知能が下がり、努力をほめると生徒の知能が上がったことになる。(P95)
最近知って興味をそそられたのだが、子どもの研究に障害をささげたハイム・ギノットもやはり、「ほめるときは、子ども自身の特性をではなく、努力して成しとげたことをほめるべきだ」という結論に達している。(P258)
そして、いじめっ子に良い変化がみられたら、かならずそれをほめる。ただしこの場合も、その子をほめるのではなく、その子の努力をほめるようにする。「きみはこのごろ友だちとケンカしてないね。みんなと仲良くしようと頑張っているんだね」。おわかりのように、デーヴィスがやっているのは、子どもたちをしなやかマインドセットに導くことなのだ。
自分は今、努力してどんどん良くなっている、と感じるように仕向けるのである。(P247)
釘をばらまいちゃった。拾って集めよう。そう言えばいい。(P266)
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結果:できたことではなく、努力・姿勢:やろうとしたことをほめる
これも、子どもの教育でもよく言われている。できたことをほめるのは「結果」をほめているのである。やろうとしたことをほめるのは「姿勢」をほめているのである。
「結果」をほめられると、次からもその子供は「結果」を重視してことに当たるだろう。「姿勢」をほめられると、その子供は「姿勢」を重視してことに当たるだろう。
「結果」はいつでもついてくるものではないのが、この世の中の実情であり、「結果」に一喜一憂していてもしょうがない。「結果」が良いのは良いことだし、目指すべきでもあるが、「勝って兜の緒を締めよ」といった言葉や「勝利のぬるま湯につかる」といった言葉もあることから、「結果」は一時の評価と考えた方がいいだろう。
一方、「姿勢」は本人の当たり方なので、いつでも思い通りにすることができる。さらに、良い「姿勢」からはおのずと良い「結果」が出やすいものである。
また、「結果」を出すことは身につけたり習慣化していつものことにすることはできないが、「姿勢」はできる。
そして、「姿勢」を求めてことに当たっていく心の持ちようが、「しなやかマインドセット」の重要な要素なのだろう。
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「社外の現実ではなく、経営者の顔色を第一に心配するような状況を経営者自身が許していると、会社は凡庸になり、もっと悪い方向にすら進みかねない。」(P182)
ウェルチは本物の自信とはどういうものかを学んでいった。「何ごともオープンな姿勢を保っていられること、変化を積極的に受け入れ、新しいアイデアを、その出所に関係なく取り入れられる勇気」こそが真の自身なのだ。
本当の自信はマインドセット-成長しようとする気構え-にこそ表れるものである。(P188)
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リーダーも「しなやかマインドセット」を
ビジネスにおいてもマインドセットは重要である。高圧的な上司のもとで、その顔色を第一に心配しながら、事なかれ主義のようなことをやっていては、組織として発展しないし、なによりつまらない。
ぜひ、リーダーにも「しなやかマインドセット」を持っていただき、部下の行動を(多少は大目に見て)成長につながる行動として見ていただきたい。
部下としても、そのようなリーダーの姿勢を、「甘く見てくれるから」などと考えずに行動するべきである。
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ペネロープは、すでに完璧にできあがった人がどこかにいる、と思っていたのである。人間関係の専門家、ダニエル・ワイルは、結婚相手を選ぶということは、問題をワンセット選びとることだと述べている。問題のひとつもないパートナー候補などどこにもいない。よい関係を築いていく秘訣は、お互いの限界を認めあった上で、そこからこつこつと積み上げていくことなのである。(P225)
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理想の人はいない、理想の仕事はない
結婚相手や就職を、考え抜いて情報を集めて正しい選択肢を選ぼうとする人が多いと思う。しかし、こういった人生の選択はどれが正解というものはない。
大事なのはその後の過程である。(そういうことは無いと考えるが)明らかに間違っている道を進んだとしても、その道で長年過ごすと、案外いい道だったなと思うこともあるものである。
どのような道に進もうと、その道を「いい道」にするために重要なのが、やはり「しなやかマインドセット」であろう。
結婚であれば、必ず楽しいこともあるしケンカなどつらいこともある。そんなときもこれをどう自分や相手の成長につなげるのか、つながるのかと考える心持ち。
仕事であっても順境も逆境もある。順境は楽しいが、逆境もいかに自分の成長や会社のためになるようにするか。こういった考え(マインドセット)を持っていれば、進んだ道が「正しい道」である。
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この研究でまずわかったのは、硬直マインドセットの人のほうが内気になりやすいということだった。それは理屈に合っている。硬直マインドセットの人は、他人の評価を気にするので、自意識が過剰になり、それだけ不安も強くなるからである。しかりながら、どちらのマインドセットにも内気な人は大勢おり、もっとくわしく調べると、さらに興味深いことが明らかになったのである。
内気な性格が人づきあいの妨げになったのは、硬直マインドセットの人の場合だけだった。(P236)
今度人の輪に飛びこんでいくときは、こうに考えよう。ソーシャルスキルは伸ばすことができるし、人づきあいの場は品定めをするところではなく、ともに学び、楽しむための場なんだ、と。いつもそんなふうに考える練習をしよう。(P251)
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「しなやかマインドセット」でとびこもう! 人の輪に、仕事の輪に
引っ越し先の共同体でも、就職先の職場でも転勤先でも、新たな輪に飛び込むのは気後れのするものである。それは、一つには「何が起こるのだろうか。自分はそれにうまく対応できるのだろうか」という心配があるためだと思う。
しかし、ここまで見てきて分かると思うが、何が起ころうと自分が「しなやかマインドセット」で対応していけばいいのである。すべて自分の成長のためになると考えて。
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どんな出来事に対しても、「この出来事は自分や周囲にどのような学習や成長のチャンスとなるか」と考えるのが、持つべきマインドセットである。
このあたりは、2020年1月6日に紹介した田坂広志氏の思想や、下に紹介する森信三先生の言葉にもつながると思う。
現在の自分にとって、一見いかにためにならないように見える事柄が起こっても、それは必ずや神が私にとって、それを絶対に必要と思し召されるが故に、かくは与え給うたのであると信ずるのであります。(修身教授録 P434)