センスメイキング クリスチャン・マスビアウ、斎藤栄一郎訳 プレジデント社
現代は科学、技術、工学、数学(Science、Technology、Engineering、Mathematics;STEM)に代表される、理論重視の学問に重点を置いた世界が発展しています。
そして、資本主義の発展は理論から製品を生み出し、商品としての価値を重視しています。資本主義の弊害について、最近考えています。様々なモノを「使用価値」ではなく「商品」と考えること。
たとえば、水は渇きを癒すモノですが、そうではなくて採掘にいくら労働力がかかり、いくらで売れる「商品」になるかと考えてしまうように。
そういった中で、人間それぞれの気持ちや境遇、習慣や信条といった、いわゆる人間性と言うか、理論では説明できないものが、大切にされていないのではないかと感じたりします。
そこから抜け出す一つの考え方として、意味を重視する、モノに込められた思い出やエピソード、生まれてくる感情を重視するということがあるのではないでしょうか。
そのために必要な考えが、この『センスメイキング』という本にはあるのではないかと思います。
今や人々は、STEM(科学・技術・工学・数学)や「ビッグデータ」からの抽象化など理系の知識一辺倒になっているため、現実を説明するほかの枠組みが絶滅寸前といってもおかしくない状況にある。その揺り戻しで企業や政府、各種機関は重大な損失を被っている。(P6)
たしかに、STEMやビッグデータ、AIの発達などによる知識一辺倒の世界になってきていると思います。
その裏では、人間味を欠いた人間関係により生まれる不機嫌、不寛容は、人間関係の問題や訴訟、うつ病や生活習慣病の発生にも関わっているのではないでしょうか。
この本では、以下の五原則をもとに、話を進めています。
<センスメイキングの五原則>
1 「個人」ではなく「文化」を
2 単なる「薄いデータ」ではなく「厚いデータ」を
3 「動物園」ではなく「サバンナ」を
4 「生産」ではなく「創造性」を
5 「GPS」ではなく「北極星」を
今の世の中、科学や技術など理系的なものだけでは、人間の生き方としてちょっと違うのではないか、宗教や哲学など人文学的なものも大切なのではないか、と感じているあなた。
上に述べた五原則は、見ただけでもなかなか魅力的ではないでしょうか。この本を、ぜひ読んでみてください。
センスメイキングは、人文科学に根ざした実践的な知の技法である。アルゴリズム思考の正反対の概念と捉えてもいいだろう。センスメイキングが完全に具体性を伴っているのに対して、アルゴリズム思考は、固有性を削ぎ落された情報が集まった無機質な空間に存在する。(P45)
理論を組み立て、実証性を備えて、科学や文明は発達してきました。
思考においても、無駄を省き、変な脇道にそれないように考えの流れを設定しておくアルゴリズム思考によって、誰が考えても一定の道筋で物事を解決できるようになります。
基本的な世の中を動かす仕組みとしては、それでいいかもしれません。同規格の製品が大量生産され、安全性も担保されている。信号は規則的に変わり、自動車は運転を誤らなければ思い通りに動く。
仕事のマニュアルもその一種でしょう。誰が仕事をしても、マニュアルに沿って行えば、能力に応じて一定のことはできます。
でも、人間を相手とする限り、マニュアル通りにはいかないことは昔から言われてきました。そこに必要なのは、相手の感情や経験、記憶といった、けしてマニュアルではつかめないものです。
法律もアルゴリズム思考の一つかもしれません。人間のすることですから、ちょっとあいまいになってしまうことがある。そこを区画してここまではOK、ここからはNGと決めるわけです。
しかし、法律についてはその適応については、人間のすることですから、機械的、アルゴリズム的に済ますのではなく、裁判などで相談します。そして、「情状」も酌量すべきなのでしょう。
現実、すなわち意味があると認識できるすべてのものは、文脈(前後関係・状況)や歴史と切っても切れない。基本的には、この文脈を超えて物事を考えることはできない。人間は、自ら身を置く社会によって定義されるとハイデガーは主張する。(P50)
人間は、周囲の人間によって自分が規定されるものです。自分自身も、周囲の人間に対していくつもの分人を用意します。
「本当の自分」というものはなく、他人や環境に合わせて作っている「分人」の総体が、「自分」であるととらえるのが、いいのではないでしょうか。
STEM、あるいは資本主義の発展は、こういった「文脈」や「歴史」とモノを切り離している気がします。
さらに、「人間」でさえも「製品」「商品」と考えてしまい、教育や自己啓発によって商品価値を高めるという考え方が出てきていると思います。
能力を高めることも必要ですが、その「人間」がどのような文脈を持っているのか、どのような「歴史」を持っているのか、といった関心も、人間関係には必要ではないでしょうか。
技術や、そこから生まれたソリューションを何よりも大切に崇めているとき、我々は人間の知を特徴付ける機敏さや微妙なニュアンスに目をつぶっている。技術を第一に崇めたてていると、ほかのところからにじみ出ているデータを取り込むことをやめてしまう。それでは、最適化ではなく、全体的な思考から生まれる持続性ある効率を見失ってしまう。(P355)
文字化、マニュアル化できることは、人に伝え実行してもらうことができます。知識や技術は基本的にはそうやって伝えることができます。
しかし、その知識や技術をどのように使うか、いわゆる「知恵」にあたるものや、言葉にできない微妙なニュアンス、あるいは「暗黙知」と呼ばれるものも考える必要があります。
こういったものは、実際に自分でやってみて身に付けてもらったり、「背中を見て」学んでもらったりするしかありません。。
効率よく知識や技術を得て「最適化」することは可能ですが、それで満足してしまっては、より高度な境地には達しません。
つまり知識を知恵として有効活用したり、技術を人の役に立ち助けるようなものにしたりするまでには、なかなか到達できないかもしれません。
*****
科学技術の発達、資本主義の発達によって我々の暮らしは便利になりましたが、決して本当の意味で「豊かに」はなっていないと思います。
では、本当の「豊かさ」には何が必要か。それがこの本でも述べられている人文科学的なこと、つまり文脈、歴史、意味や人間性ということだと思います。
今の世の中、知識や技術以外にも大切なことがあると、感じることがあります。そういった疑問に、道しるべとなってくれるような本だと思いました。