本を読むだけで脳は若返る 川島隆太 PHP新書
読書は運動、瞑想などと並んで人間にとってメリットしかない行動と言われます。適度な食事や睡眠とともにこれらを生活に取り入れることは人間として良く生きるコツです。
もちろん過ぎたるは及ばざるが如しではあり、各人の仕事なり生活なりを立てたうえでの行動であることは必要です。本を読んでばかりで家庭生活や仕事に支障を来すようではいけません。
論語にもありました。“行いて余力あれば則ち以て文を学ぶ”と。まずは社会的な役割や人間関係を実践し、その実践の中から学ぶ。それでも余力があれば本から学びなさい、ということでしょう。
それでも、社会の中で生きることや人間関係について、実践と同等あるいはそれ以上に学ばせてくれるのもまた、読書であります。
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近年は長寿高齢化が進んでいます。長く生きられるのは一面では喜ばしいことです。しかし、身体的に元気で長生きするとともに、思考や心もいつまでも若々しく生きたいものです。
身体を維持するためには身体を使うこと、つまり運動です。思考や心といった“頭”を維持するためには頭を使うことです。
そこで、読書です。この本でも述べられていますが、読書は頭つまり脳の“全身運動”とも言ってもよいほど頭を使うものです。
読書は、人間の思考や心を磨き、成長させてくれるものと言えます。さらに、高齢化に伴って不可避である頭の老化にも読書が効く、というのがこの本の内容です。
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どうも著者の川島隆太先生については、あの有名なポリゴンの顔からいかがわしい印象を持っていることも否めません。
それはともかく著者はこれまでも、スマホ・タブレットの脳に対する害、とくに子どもの脳に対する害を多くの著書で警鐘してきました。
ではどうするか、そこで読書です。この本では実験と考察に基づいた著者の膨大な研究による裏付けが、読書人が信じている読書のチカラを科学的に証明してくれます。
結論から言うと、私たちも驚愕したのですが、アルツハイマー型認知症の方の認知機能が向上したのです。症状の進行が止まったという話ではありません。失われていくはずの認知機能が回復したのです。(P69)
最近、我が国でもアルツハイマー病の進行を抑える新薬として「レカネマブ」が承認され、その効果が期待されています。
アルツハイマー病ではアミロイドβという物質が脳の神経細胞に蓄積しており、発病の原因とされています。レカネマブはこの物質の働きを抑制し、進行を抑えます。
気になるお値段ですが、一般的な治療に使用した場合の薬の費用としては、1年間で300万円程度になるとのことです。
認知症は本人のみならず周囲の家族や社会も大きな負担があります。本人だけでなく周囲も、あるいは社会もこの値段で良い方向に向かうのであれば、高いのか安いのか。いろいろ考える必要はありそうです。
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ところで、私は読んだ本の購入日、タイトルと著者、読了日をエクセル表で記録しています。
私は、これまでの10年ほどで2000冊近くの本を読んできたようです。記録上は2023年12月30日現在で1858冊を読了しています。記録していなかった時期の読書も加えると、2000冊にはなると思います。
あまり考えたくないですが、そのコストを考えると、たとえば1冊1000円として2000冊と考えると、それでも200万円なんです。1500円と考えても300万円なんですね。
これも、高いのか安いのか分かりません。2000冊の本はレカネマブのビンと異なり大きなスペースも占拠します。しかたなく一部手放してスペースを確保しています。
その効果についても、それこそ大人数を対象としたランダム化比較試験などできないでしょうから、科学的に出せるものではありません。でも私は今、本とともに楽しく生きています。
それに、レカネマブをはじめこれまでの薬剤は、いずれも認知症の症状進行を“遅くする”という程度の効果です。“止める”であるとか、ましてや認知機能を“回復する”という効果のある薬はありません。
そんな中で、認知機能を維持したり回復したりする効果も期待されるのが、読書なのです。
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さて、読書の方法の中でも効果的なのは音読だそうです。黙読の場合は感覚がメインで、せいぜい目の動きや本を持つ手の運動が加わるくらいです。
それに対して音読は、加えて発生して声を出すという大きな運動と、その声が耳から入る聴覚も加わります。
黙読だけでも脳の広範囲を使うとのことですが、音読はさらに広い範囲の脳を駆使するそうです。
身体の運動も使った筋肉が鍛えられ維持されるように、脳もなるべく広く多く使ったほうが、鍛えられ維持されるのですね。
若いときから読書の習慣をつけて、脳の“全身運動”を続けるようにすれば、さらに身体の全身運動、たとえばウォーキングなどの習慣的な運動を続けていれば、お高い薬に頼らずとも、健康で素敵な人生や老後を送ることができるのではないかと、思いますよ。
蛇足かもしれませんが、もう一つ言うと、本を使った活動の一つに「朗読」があります。これについては実験をしていないので、特に考察はないのですが、私の個人的な経験では、何か特別なものがあるのかもしれません。(P94)
読み聞かせという昔から見られた親子間の読書活動が、実は「こころの脳」の活性にはとても効果的で、家庭での育児や子どもの発達などに良い影響を与えることができることを、私たちは実験で明らかにできたと考えています。(P95)
朗読は誰でもできます。でも、テレビなどでみる声の良い人や心を込めて読んでくださる人の朗読は、心の響くものがあります。
私は、朗読は読書を芸術にしたものと考えます。芸術とは、技術の中でも人々の感情に訴えるに至ったものをいうと思います。本を読む読書という技術。それを芸術に高める方法の一つが朗読ではないでしょうか。
これは、もしかして言語の音や意味といった処理のみならず、感情にも働きかけることに繋がるかもしれません。
より脳を広範囲に、言語や運動、視覚、聴覚といったことを司る新しい脳だけでなく、感情や記憶を司る脳へも働きかけて、脳を活性化してくれるかもしれません。
ときには、好きな本や好きな部分を朗々と声をあげて感情を込めて朗読してみたり、人の朗読を聞いてみたりするのも良いかもしれませんね。
そして、読み聞かせは親と子の時間を共有する貴重な場面でもあります。親が心を込めて、本を朗読して子に聞かせることが、子供に言葉の音や意味だけでなく、感情の動きも伝えます。
「読書は心の栄養」と言われますが、読み聞かせは親が積極的に子どもに「心の栄養」を与える場になります。
その「心の栄養」が、子どもの「こころの脳」を発達させるのですね。
スマホ・タブレットがこれと同様のものだと言うつもりは全くありませんが、その枝葉のメリットだけを強調する社会の空気感には危うさを感じずにはいられません。「使うと便利」「楽しいことがたくさん」「多くの人とつながる」と伝えるばかりで、脳の発達が抑制されたり老化が早まったり、精神的な問題が生じたりするリスクを伝えないのは、子どもたちの将来を奪ったり、未来の社会を作る人たちの力を落としてしまうことにならないのでしょうか。(P148)
ここ、重要ですね。
スマホ・タブレットの便利さ、楽しさが声高に言われていますが、それらが全く無害というわけではありません。
商業ですからデメリットは言わないのでしょうが、ユーザーとしてはメリット、デメリットを知ったうえで道具を使うべきです。
ここに述べられているようにスマホやタブレットといったデジタル機器も、麻薬などと同様に使用により幸福感や楽しい気分を味わうことができるかもしれない一方で、それなりの害を被る可能性がありますよ、ということです。
我々はスマホ・タブレットの普及によってメリットも多いに享受していると思います。その一方で、デメリットである脳の発達抑制や脳の老化といったものは、時間が経たないと表れないものかもしれません。
単なる老化と思っていたら、スマホ・タブレットを使用したことによるデメリットの効果が上乗せされていた、という可能性もあるでしょう。
そういう可能性も自らも重々承知してデジタル機器を利用し、子どもたちにも使わせるという気持ちが必要ですね。
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最近、うちの子どもの宿題で、学校で配布されたPCのタッチパネルに、一生懸命タッチパネル用ペンやら指やらで書き込んでいるのを見ました。
鉛筆での書字に比べるとはるかに書きにくく、トメ、ハネ、ハライなどを無視した字で、ときには予想外な“候補”に踊らされて笑わされて書き込んでいました。
紙の宿題のほうが、回答するだけでなく字の練習にもなりますし、はるかに書きやすいと思います。
国策として学校でもPCやタブレットを用いた教育がなされており、早くからそういったデジタル機器に慣れたほうが良いとの思慮もあるのかもしれません。
しかし、私なんかも馬齢を重ねてから本格的にPCをいじっても、こんなレベルの駄文ではありますが、書くことはできますしプレゼンなども形にすることはできます。
それよりもまず、多彩な文字を有する日本語の文字を書くこと、読むこと、話すことを優先するのが、幼少時の教育としてふさわしいのではないでしょうか。
例えば、小説を読んだときと、それを原作とした映画を見たときでは、印象がかなり異なるものです。自分が想像していた人物像や風景が違うことに違和感を持ったり、心を打たれたシーンや主人公の言葉が表現されていなかったり、表現されていてもイメージと違う演出でがっかりしたりします。 (P179)
小説は読者のペースで自由に読むことができます。流して読むこともじっくり読むことも。連続して読むことも、期間をおいて読むことも。
映画やテレビドラマは時間制限があります。1時間や2時間くらいのワクに収める必要がありますから。
また、映画やドラマなどの画像は画像の内容しか見えません。もちろん表情や仕草、声色などから画像には見えない感情を想像することはできます。
一方で読書の場合は、相手はただただ文字です。文字は音や字面をなし、その繋がりは言葉や文章を生みます。しかし、そこから情景や感情、そして物語を頭の中に生み出すのは読者です。
読者の数ほど登場人物の姿かたちが想い起され、読者の数ほど情景や物語が想い起されます。それがシンプルな文字だけを相手にする読書の特徴です。
私はそこに読書ならではの可能性を感じます。そう、読者の数だけ物語があるというところです。同時にそれが、読書が他のメディアと異なるところ、面白いところだと思います
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生まれたばかりの動物としてのヒトが人となり、社会の中で他者と生きていく人間となるには、言葉や学問も必要ですが、「人を思う心」「人間心理の洞察」が必要です。
それらは家庭や学校での生活、教育の中で教えられることもありますが、読書によって多くの他人の経験を知ることにより、ブーストされるものです。
また、長く人間として他者や社会と良好な関係を保ちながら生きるためには、自分の頭をメンテナンスし良好な状態にしておく必要があります。
「人を思う心」を身に付け、世界を解釈する自らの頭を成長させ、そして維持する。読書はそのために有効な手段です。