ハイ・コンセプト ダニエル・ピンク 大前研一訳 三笠書房
現代およびこれからの時代に対する様々な心配は後を絶ちません。
VUCAの時代の到来と言われています。つまりVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、およびAmbiguity(曖昧性)の頭文字を合わせたのがVUCAです。
社会の変動が大きく、絶対的な真実というものが無く、物事は複雑に絡み合っており、そして問い→答えのような一対一対応ではない得体のしれない曖昧なものが多い、という世の中です。
少しでも人間の役に立つだろうと開発されている人工知能:AIでさえ、どんどん発達してきて、今では人間の仕事を奪い、人間の存在を脅かすのではないかと感じられています(そうでもないことは昨日ご紹介した本を参照ください)。
こういった時代のなか、我々はどのように生きていけば、働いていけばいいのでしょうか。
この本は、そんな世の中で過ごすための新しい考え方を提唱しています。これまで左脳寄りであった思考を左脳から右脳へ、右脳の働きも織り混ぜて全体的な思考にしましょうという内容です。
そのために必要な「6つの感性」が述べられ、章ごとに説明されていきます。その感性とは、
①「機能」だけでなく「デザイン」
②「議論」よりは「物語」
③「個別」よりも「全体の調和(シンフォニー)」
④「論理」ではなく「共感」
⑤「まじめ」だけでなく「遊び心」
⑥「モノ」よりも「生きがい」
の6つです。それぞれの簡単な説明としては、以下のようにまとめられています。
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「ハイ・コンセプト」とは、パターンやチャンスを見出す能力、芸術的で感情面に訴える美を生み出す能力、人を納得させる話のできる能力、一見ばらばらな概念を組み合わせて何か新しい構想や概念を生み出す能力、などだ。
「ハイ・タッチ」とは、他人と共感する能力、人間関係の機微を感じる能力、自らに喜びを見出し、また、他の人々が喜びを見つける手助けをする能力、そしてごく日常的な出来事についてもその目的や意義を追求する能力などである。(P28)
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著者は世界を相手に経営戦略やビジネス戦略を説き、多くの著書によってその考えを世に発信しています。
これまでのガチガチの左脳を使った考え方だけではなく、それも重要ですが、右脳を使った考え方が、これからの時代に必要とされます。
おそらく人間が左脳で行っていること、考えていることはAIでもできるのです。AIにはできない、人間の右脳から飛びだす思考を、存分に発揮していくためにも、この本を読んでみてください。
(なんだか最近AIを目のカタキのように書いていますが、そんなことはありません。仲良くやりましょう)
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コロンビア大学医学部やその他の医学部でもそうだが、学生は「物語医学」を学ぶ。
なぜなら、さまざまな調査結果から、コンピュータ診断は効果的であるものの、診断における重要な部分は「患者が語る物語」に隠されているということがわかってきたからである。(P104)
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さまざまな職業のなかでも、医師はとくに人間性の大事な職業かと思います。もちろん、診療にあたっては様々な徴候、症状や検査データが大事なのは言うまでもありません。
しかし、最近ではそういったデータを活用するのは当たり前であり、そこから一歩前に踏み出した医療として、ナラティブ・ベイスド・メディスンが提唱されています。
ナラティブとは物語性のことであり、ナレーションも同じ語源です。
診療において重要な診断には、診察をして症状をくまなく拾ったり、様々な検査や画像のデータを見たりすることも必要です。
一方で、患者さんにていねいに問診し、隠れた訴えや、もしかしたらある程度打ち解けないと言ってくれないような(それは隠しているということでもなく、ささいなことで言う必要がないと患者さんは思っているかもしれません)情報が手に入ることもあります。
そういった情報が、ときに診断の役に立つこともあります。
また、患者さんに十分な情報提供をして、治療方針を決めるというのが、これまでの流れでした。それは個人の意見や経験のみで判断せずに、これまでの世界中の経験や研究から紡ぎ出された確たる情報をもとにして診療を行う姿勢であり、重要なことであります。
しかし、そこで提供される情報、いわゆるEBM(エビデンス・ベイスド・メディスン)の考えのもとでの情報は、大勢の症例から得られた情報です。個々の患者さんの事情によっては、そぐわない点が出てくることもあります。
今までは、キカイ的に画像や血液検査の結果を伝えて、EBMを参考にして今後の方針の選択肢を患者さんに提示し、選んでいただく、という流れが主流でした。
これからは、検査結果を説明し、EBMを参考に考えられる方針をお話しし、(場合によっては医療者から自分はどう思うかを言ってから)患者さんはどう思うかを聞いてみます。
そして、患者さんの思うところを最大限に活かし、医療を進めていくのが良いのではないでしょうか。これは、とくに精神疾患やがんの終末期医療など、明確なエビデンスがない分野で、活きてくるのではないでしょうか。
医療界でもNBM(ナラティブ・ベイスド・メディスン)として、少しずつ脚光を浴び始めている気がします。
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事実というのは、誰にでもアクセスできるようになると、一つひとつの事実の価値は低くなってしまうものなのだ。そこで、それらの事実を「文脈」に取り入れ、「感情的インパクト」を相手に伝える能力が、ますます重要になってくるのだ。(P170)
そして、この「感情によって豊かになった文脈」こそ、物を語る能力の本質なのである。
・・・しかし、比喩的な思考ができるのは人間の脳だけであり、コンピュータには決して検出できない関連性を発見するのも人間の脳なのである。(P220)
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PCやスマートフォンの普及、ネット環境の進化により、知りたいことはいつでもどこでも調べることが可能となりました。
これまでは、書籍にあたって調べたり、専門家に聞いたりしていたような「事実」も、ちょっとスマホで調べただけで、手に入れることができます。
それにともない、「事実」の価値は下がったとも言えるでしょう。
これからは、事実(データ、情報)だけではなく、それをどう思うか、どう解釈するかという付加価値をつけて、発信したり教えたりできるかという点が重要だと思います。
つまり、「事実」を「人間」を通すことによって加工してみるのです。加工のしかたは加工する人間にもよりますし、伝える相手にもよるでしょう。
たとえば、日々起こった事実を伝えるテレビ放送にしても、伝え役にはアナウンサー、キャスター、あるいはコメンテーター、アナリストなど様々な立場の人がいます。
アナウンサーはまさに事実を“読み上げる”だけかもしれません。キャスターはちょっと自分の感想を加えてみるかもしれませんし、コメンテーターは事実に対する自分の考えを発信する方がメインとなるでしょう。
アナリストともなれば、自分の知識や経験、世の中の動向、過去の傾向や報告なども踏まえて「事実」を「このようなことだ」と解釈し、分かりやすく発信するわけです。
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医療における説明も同様です。淡々と検査データを伝えるだけではなく、医療者としての自分はどう思うかであったり、感想を付け加えたりしてみます。
「画像では腫瘍は取り切れているようです。良かったですねー」くらいでもいいかもしれませんし、「この調子で今後の治療もがんばりましょう」などもいいかもしれません。
こういった、少し「感情」も付け加える能力が、こちらから相手に向かって「物を語る」能力の本質なのです。患者の「物語」を聴くと同時に、こちらも「物語る」わけです。
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“比喩的な思考ができるのは人間だけ”、というのも、考えてみればそうですが、面白い点だと思います。
比喩は、一種の具体と抽象を行ったり来たりする能力かと思います。たとえば、“人生(具体)→流れるもの(抽象)→川(具体)“のように。
コンピュータやAIでもそういった連想ゲーム的なことはできるかもしれません。しかし、まったく関連性のない二つをもってくるのが、比喩の意外性であり、また魅力でもあります。また、比喩がツボをつくのは、発した人の境遇や受け取った相手の境遇にもよると思います。
いつでもツボをつくひと言が言えるわけではありませんが、ときに鋭く突き刺さる比喩を発することができるのは、人間ならではのことでしょう。
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・・・ほとんどの経営幹部がほぼ同じように、精神性とは宗教ではなく、「人生に目的と意義を見出したいと願う基本的欲望」だと定義していたのだ。(P324)
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仕事の報酬については、お金だけではなく自分の技術向上や仲間、さらなる仕事などいろいろあります。
さらに働く意義ややりがい、生きがいを得られることも、仕事の報酬の一つでしょう。そういった人生の目的や意義を得られることも、これからの働き方の重要な要素と思われます。
「働き方改革」と声高にいっていますが、内容としては勤務時間短縮ばかりに目がいっているような気がします。
たとえ勤務時間が多少長くとも、その仕事内容が人生の目的や意義に通じ、生きがいや働きがいといった精神性を得られるのであれば、その人にとっては充実しているのではないでしょうか。
そして、仕事を通して人生の目的や意義を満たすという考えは、キリスト教のとくにプロテスタンティズムにつながるのかもしれません。
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話しは変わりますが、西洋ではキリスト教やユダヤ教、イスラム教など各自が宗教を持っていることが当たり前であり、日本人が無宗教というのが信じられないと言われます。
彼らは、人生の目的や意義、あるいは生き方や考え方、道徳の基礎をそういった宗教による教育に負うところが多いのです。
だから、日本人が無宗教というのは、そういった生き方や道徳について何も考えておらず教育も受けていないと思ってしまうのでしょう。
しかし、日本には武士道や仏教、論語のような儒教思想も深く染みわたっており、礼儀、義理、忍耐、謙虚、修練など様々な徳目は知らず知らずのうちに教育されているのだと思います。
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最近、こういったカタカナ語や英語の題名の本が多くなっている気がします。『マインドセット』、『モチベーション3.0』、『selfish』などなど、さまざまあります。
なんとなく安っぽい感じもしますが、どれもこれからの時代を生きていくうえでの、ちょっと考えさせられる内容が盛りだくさんの本たちだと思います。
しかし、こういった本を読んでいると、内容としては日本古来の考え方が捉え直されているのではないかという気がします。
たとえば、「機能」だけでなく「デザイン」も重視する茶の湯の道具や武具、根付、あるいは柳宗理の思想など。「個別」よりも「全体の調和」を要とする日本庭園や、悪くいえば大衆迎合、よく言えば調和を重んじる日本人の性質。「論理」ではなく「共感」に重きを置く”三方良しの商売”や”大岡裁き”。などなど。
なんとなく、西洋が日本に追いついてきたような、そういうちょっと高慢な考えも、ふと浮かんだところでした。
おそらく日本は、明治以降の西洋文化導入で西洋的な左脳重視の考えも一緒に導入してしまったのでしょう。
それもいいのですが、日本に昔からあった右脳の力を発揮した思考を、再び思いだして活用してもいいのでは、とも思ったのでした。