禅と日本文化 鈴木大拙 著 北川桃雄 訳 岩波新書
鈴木大拙は時代としては1870年(明治3年)、石川県金沢市に生まれました。ということで、あの西田幾多郎と同じ出生年、出生地、そして学友でもあり、その後も終生の友人であったようです。
先輩の紹介によって鎌倉の円覚寺に参禅するようになりました。その後、東京帝国大学に入学する一方、円覚寺において「大拙」の居士号を受けました。
そのころアメリカで仏教への関心が高まっていたこともあり、師匠の文献を英語に翻訳することや、海外文献の和訳などを通して世界を相手に活躍されました。
66歳時にアメリカで「禅と日本文化」の講演を行い、このときから日本語の「禅」は英語でも”ZEN”となったようです
ZENはご存知のようにスティーブ・ジョブズなどによっても紹介され、広くアメリカで知られるようになりました。
そして、近年アメリカ西海岸を中心に沸き起こったマインドフルネスも、その禅の流れを汲んでいるものと言えます。
今回ご紹介する『禅と日本文化』は、鈴木大拙の講演をもとに英文で著されたものの翻訳刊行です。
禅というものの特徴、そしてその特徴が様々な日本文化にどのように影響しているかが良く分かります。
ここに禅の鍛錬法の一風変わったところがあるのだ。それは真理がどんなものであろうと、身をもって体験することであり、知的作用や体系的な学説に訴えぬということである。後者は技術の末にかかずらって、その結果皮相的になり、中心事実に到達せぬことになる。理論化(セオリゼーション)ということは野球をやるときや、工場を建てるときや、各種工業製品を製造するときなどには、結構なことであるかも知れぬが、人間の魂の直接の表現である芸術品を創ったり、そういう技術に熟達したりする場合、また正しく生きる術をえんとする場合には、そういう訳にはゆかぬ。事実、純正の意味の創作に関連した事柄は、いかなる事でもみな、真に「伝え難き」もの、すなわち論議を主体とする悟性の限界を超えたものである。それゆえ禅のモットーは「言葉に頼るな」(不立文字)というのである。(P7)
禅の鍛錬法の第一は、身をもって体験することといいます。さまざまな方法論の記述は多いですが、まずはやってみることです。方法論をたくさん学んで知識をつけても、禅は向上しません。知識に訴えないことが大事です。
また、知識に訴えると、つまり禅はこういうやり方でやるもの、こういう効果があるものと知って行うと、その域を出ません。
実際にやってみると、さらに自分に合ったやり方が見つかるかもしれないし、予期できない効果があるかもしれません。
とくに、効果については、ある程度事前にどういうことが起きるというのを知って行うと、それを無意識にめざして、その目標に限られてしまい、目指すべき中心事実、つまり悟りであるとか、心の安定であるとかに到達しないことがあります。
ああすればこうなるという「理論化」は、ルールの決まった野球などのスポーツや、物理と工学の成果である工場などの建物や設備の建造には必要なことです。
しかし、「人間の魂」の表現という要素が必要な芸術品、そして「生き方」も一つの芸術品だと思いますが、そういったものを創造する場合には、理論ではうまくいかないのです。
言葉、文字で表すことが可能で「伝えやすい」ものはマニュアルなどで理論を伝え、みながその理論を納得し、そのとおりのものを作ることができます。
その一方、言葉、文字で表すことが不可能な「伝え難き」ものはマニュアルやスキルによって行うものではなく、ただ自分でも体験してみて、その積み重ねと反省、そして少しの助言によって醸成していくものだと思います。それがすなわち、「暗黙知」というものでしょう。
禅はこのような「伝え難き」「暗黙知」の要素を多分に含み、そして、様々な日本文化も禅と同様に「暗黙知」の要素を含んでいます。
それゆえ、日本美術、武士道、茶道などから、もしかしたら「おもてなし」などもそうかもしれませんが、そういった日本文化の理解には、「伝え難き」「暗黙知」の存在を前提に考える必要があります。
東洋人はその文明の初期より以来、芸術と宗教の世界でなにか成就せんと欲する場合には、まずこの種の修業に専心するように教えられてきた。禅は事実、つぎの言葉にそれをあらわしている。『一即多、多即一』これが十二分に理解されたとき想像の天才が生れる。(P26)
西田幾多郎の『善の研究』でも、「モツァルトは楽譜を作る場合に、長き譜にても、画や立像のように、その全体を直視することができたという。単に数量的に拡大せられるのでなく、性質的に深遠となるのである、・・・」と述べています。これも『一即多、多即一』に当てはまるのかもしれません。
一(わずかなこと)に多(すべて)が包含され、多(すべて)は一(わずかなこと)にまとめられるという考え、これは現代の最先端の物理学である量子論においても同様のことが言われています。
量子論において、何もない「真空」のなかにも、膨大なエネルギーが潜んでいることが明らかにされています。
宇宙の創生はそういった真空のエネルギーが起こした「ゆらぎ」から発生したという「インフレーション宇宙論」も提唱されています。
何もないような「真空」が、ふとしたきっかけで膨大な物質と情報を生み出すわけです。
このような量子論における真空が膨大なエネルギーや情報を宿しているという考えは、ゼロ・ポイント・フィールド仮説と呼ばれています。
そしてそのゼロ・ポイント・フィールドという場には、この宇宙の過去、現在、そして未来のすべての出来事が、「波動」として記録されているということです。
それは、一芸の熟達に必要なあらゆる実際的な技術や方法論的詳細の底には、自分のいわゆる「宇宙的無意識」に直接到達するある直覚が存し、各種芸術に属するこれらの諸直覚はすべてみな、個々無関連な、相互に無関係なものと見なすべきものではなく、一つの根本的な直覚から生ずるものと、見なすべきものだということである。
そして、そのゼロ・ポイント・フィールドから、そこに蓄えられている記録を、なんとか取り出すすべが仏教の禅、キリスト教の祈りのほか、瞑想やマインドフルネスなどであると思います。
ここで言われている「宇宙的無意識」は、ユングのいう「普遍的(集合的)無意識」とも重なり、まさにゼロ・ポイント・フィールドに当てはまるのではないでしょうか。
鈴木大拙が述べる「禅」が、この「宇宙的無意識」から情報を得るための「直覚」を生み出す方法の一つでありましょう。
つまり、「禅」というものは、体験を通して「直覚」という「暗黙知」を修得する一つの手段であり、「直覚」は「宇宙的無意識」からの豊かな情報を取り出す手がかりというわけです。
日本文化はそのようにして得られる「直覚」が、共通の根(日本文化はこういうものだという普遍的無意識でしょうか)を持っているということだと思います。
剣道は単に相手を倒すためのものではなく、茶道は単にお茶をいただくためのものではなく、弓道は単に的に当てるためのものではありません。
そういった「体験」を通して「宇宙的無意識」とつながり、それによって人間性を高め、自己の成長を得ることを、目的の一つとしているのではないでしょうか。
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さて、学友であった西田幾多郎も鈴木大拙に大きく影響を受け、自身も「禅」を実行することで思索を深めたと言われます。
今は「哲学の道」と呼ばれる道を歩いて思索したという逸話は、現在のマインドフルネス(坐禅のような瞑想のみならず、歩く瞑想、食べる瞑想などバリエーションに富む)に通じるところもあると思います。
西田も、鈴木大拙の説く「禅」の思想を取入れて実行することにより、日本文化に根差した哲学を開くことができたのではないでしょうか。